墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚原穴古墳・他田塚古墳 長野県上田市下之郷

前回のつづき、上田古墳旅の最後に訪ねた古墳は、上田リサーチパーク内の公園にあった。 

 

いにしえの丘公園。

後ろ(北)は山洋電気テクノロジーセンター。東に上田市マルチメディア情報センター、南に長野県工科短期大学校、西に日高精機本社がある。

 

先端テクノロジーに囲まれた古墳。 

 

「塚原穴第1号古墳」

塚穴原(つかあなはら)第1号古墳【上田市指定文化財】
この古墳は古墳時代後期(6~7世紀)の「下之郷古墳群」の中でも最大級の古墳で、直径20m、高さ3.3mあります。発掘調査の結果、当時の馬具や武器、土器がたくさん出土し、それらは現在、信濃国分寺資料館に展示されています。

 

周囲は柵で囲まれていた。

 

ズームで開口部を。

 

「上田市文化財マップ」 には当古墳の石室実測図や出土品写真が掲載されている。その解説によれば、墳丘に四段に葺石が施され、周溝も備えた、塩田平で最大の円墳であり、石室全長7.2mになるとのこと。

昭和50年の発掘調査では、耳環やガラス小玉・丸玉・臼玉などの装身具や、鉄地に金銅張りの鞍の一部、鉄製の轡などの馬具、直刀13本・刀子5本・鉄鏃13本の武具、そして様々な種類の土師器や須恵器も出土している。

石室内からは5体以上の人骨も発見され、この地方の有力豪族とその家族が埋葬されたとみられているそうだ。

 http://museum.umic.jp/map/document/dot55.html

 

背面側から。 

 

OBITさんのサイトにて石室内の写真を見ることが出来る。

http://obito1.web.fc2.com/uedaminami.html

 

上記によれば、塚原穴1号墳の西隣にあるこの土盛りは2号墳。

 

西側から見た2号墳(右)と1号墳(左奥)

 

 

上記で振り返った場所に、もう一基円墳がある。

 

他田塚(おさだづか)古墳。南西側に大きな開口部があった。

 

その説明板。

他田塚古墳【上田市指定文化財】
この古墳は古墳時代後期(6~7世紀)にこの辺り一帯の山麓に営まれた「下之郷古墳群」(現在40基前後残っている)の中の代表的な一基です。直径15m、高さ3mあり、亡くなった人を納める石室の奥行きは7mあります。当時塩田平一帯を治めた豪族のものと考えられます。

 

当古墳も「上田市文化財マップ」に詳細な説明が載る。 
石室全長は9.9mで、玄室は奥行6.3m・幅2.0m・高さ2.5mになるという。

 

昭和47年の発掘調査では轡金具などの馬具、首飾りや耳飾りに使用されたとみられるメノウ製勾玉・土製丸玉・土製臼玉・ガラス製臼玉・碧玉製管玉・水晶製切子玉などの玉類や耳環、土師器の碗や高坏、須恵器の碗や高圷・壼・甕などが発見された。

埴輪や葺石などはなく、古墳の形や出土した遺物から7世紀前半頃の築造と考えられるとのこと(塚原穴1号墳は6世紀後半頃)

当古墳には、信濃の古代豪族である他田氏(おさだし)に関係した古墳との言い伝えもあるそうだ。

http://museum.umic.jp/map/document/dot48.html

 

柵越しに中を覗くが・・・

 

距離があったのでフラッシュも届かなかった。

 

南東側から。

上田市教育委員会に事前に連絡をすれば内部見学が可能なようだ。 

 

公園内には前方後円墳のような土盛りもあった。

 

上から見たら双円墳的な平面形をしているはずだが、現代のモニュメントのようだった。

 

そこからのパノラマ。

 

いにしえ公園と道を隔てた南側に洋館があった。

 

築115年の旧宣教師館。
明治37年(1904)にカナダ・メソジスト協会の夫人宣教師の住宅として、上田城跡の近くの丸堀に建てられ、1993年に当地に移築復元された。
3月21日~11月30日の土・日・月・祝に開館している。一般100円。

 

道路には側面を向けている。大きな窓で明るそうな室内。

 

上田駅に戻ってレンタカーを返却。駅建物に店舗があってとても便利だった。

 

これにて4日間の古墳旅終了。すでに2ヶ月が過ぎましたが、年末年始を経て1月はインフルエンザでダウンしたりして今年はまだ行けてません。

初墳行はどこにしようか・・・