墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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皇子塚古墳 長野県上田市手塚

皇子塚(おうじづか)古墳は、前回の別所温泉から南東に1.5km。

 

里山の集落の中にあった。

 

小さな案内板に沿って枝道を入っていくと墳丘が。 

 

その説明板。

市指定記念物(史跡)
文化財保護条例第5条の規定により左記の通り指定する。
種別:記念物(史跡)
名称:皇子(おうじ)塚古墳
所在地:上田市手塚字王子塚480-2
指定年月日:昭和48年4月9日
皇子塚古墳は塩田平を眺望する標高およそ530mの台地上に立地し、この一帯に多く分布する袖なし型横穴式石室をもつ古墳時代後期の円墳であり、奥壁幅に対して石室の奥行きが短い終末期古墳の特色をよく表している。
墳丘の規模は、径およそ14m、高さ3.3mである。石室は平石を小口積にして築き、奥壁幅2.2m、奥行6.4m、玄門幅1.42mで、中心線の方位は、南西30度につくられている。
保存上の注意
・墳丘の崩壊を防ぐため、墳丘上に上ることを禁ずる。
・墳丘の雑木などをかり払い古墳の保護を計る。
・許可なく現状変更を禁ずる。
昭和48年10月1日 上田市教育委員会

 

 墳丘裾からは北東側に上田盆地を一望できた。奥の右は噴煙を吐く浅間山か。

 

パノラマで。素晴らしい眺め。

 

ちょっとズームで。中央奥は烏帽子岳か。

 

開口部は、眺望とは逆側の南西向き。

 

中型の平石が積まれた石室。

 

大きな天井石。

 

奥壁に向かって左側の側壁。

 

奥壁と、右側壁。

 

六段に丁寧に積まれた奥壁。 

 

奥壁前から開口部。

 

「上田市文化財マップ」の解説によれば、昭和49年の発掘調査で勾玉・管玉・金環や、直刀・鉄鏃・轡金具、さらに須恵器・土師器などが多数発見されたとのこと。

築造時期とは異なるので史実にはならないが、天平宝字8年(764)の藤原仲麻呂の反乱に登場する塩焼王かその子供が葬られているとの伝承(皇子塚の名の由来?)もあるそうだ。

http://museum.umic.jp/map/document/dot50.html

上記の写真では墳丘に木が3本立っている。