墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

角塚古墳 岩手県奥州市胆沢区南都田塚田

2018年12月の2度目の週末、50歳以上で会員になれるJR東日本・大人の休日倶楽部の期間限定販売の倶楽部パス(@15000円)を使って遠出をした。

当初そのチケットは周遊券のようなもの(つまり一筆書きに回るタイプ)と勘違いしていて、土曜日に鶴岡市で2つの建物を見て日曜日に高畠町で古墳を見て帰るだけの予定としていたが、4日間で東日本全線乗り放題(新幹線を含む・指定利用は6回まで)と知って、金曜日に北上市往復、月曜日に上田市往復もしてしまった。

 

金曜日の朝、6:04発のやまびこ41号に乗車。

那須のあたりから地表を覆うような白い雲(霧?)が帯状にかかる。

 

新幹線に乗ったときまでは一ノ関で乗り換えて水沢で下車し、徒歩とタクシー利用を考えていたが、小雨になってきたのでレンタカー利用に変更。幸い電話で当日予約ができて、店が多くある北上駅まで新幹線に乗った。

 

北上駅前からは下の道を30分走って、目指す角塚(つのづか)古墳に到着。

角塚古墳は、これまでに確認された前方後円墳としては日本最北端に位置する。

 

墳丘と道を挟んだ向かい側に、模擬円墳のある駐車場があった。

 

その裾には人物埴輪が置かれていた。どこかでお見かけした雰囲気があったので、自分の過去記事をみたら東京国立博物館で見た伊勢崎市出土の鍬を担ぐ男子がモデルのようだ。

 

群馬県伊勢崎市下触町出土の「埴輪 鍬を担ぐ男子」(古墳時代・6世紀)@東博

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この場所は古墳公園として整備されていた。 

角塚古墳公園ご案内
角塚古墳は円墳と方墳が合体して型づくられた前方後円墳です。墳丘上に一本の杉が樹立することなどから「蛇塚」や「一本杉」の愛称でも親しまれています。
古墳は岩手県内でも最大最古に位置づくもので、周溝や埴輪、葺石を伴う日本最北の古墳として昭和60年、国の指定史跡となっています。
この公園は、角塚古墳をイメージして設計され、胆沢の文化の発祥を伝え、未来への遺産として後世へ残す意味で整備したものです。胆沢町の玄関口としてまた、町内の観光の起点ともなっております。胆沢町

 

植木や石橋がある池も。春~夏は華やかでは。

 

池越しに角塚の墳丘。

 

間には道路が通るが、こちら側からも見学しやすいように盛り土がされていた。

 

そこにあった説明板。

国指定史跡 角塚古墳
所在地:岩手県奥州市胆沢区南都田字塚田
国指定年月日:昭和60年3月22日
概要
角塚古墳(通報塚の山)は、墳丘部の発掘調査が行われていないため、内部構造は不明ですが、昭和49・50年の範囲確認調査により日本最北の周湟(水堀)・葺石・円筒埴輪・形象埴輪(人物・動物・家型など)をともなう前方後円墳であることが確認されました。
主軸の長さは43~45m。後円部は直径約28m、高さが約4m。前方部は北側幅10m、南側幅15m、高さは1.5m前後とされています。
この角塚古墳は、5世紀~6世紀初めの築造と推定されこの地域に形成された農耕社会とそこでの政治的諸関係を示すもので、東北地方における古墳時代を解明する上で重要な、前方後円墳としては、岩手県唯一の古墳です。(後略)
平成4年3月 奥州市教育委員会

 

後円部先端が道路(側溝?)で少し削られたようだ。

 

それでもきれいに残った墳丘。

 

角塚公園には古墳名の由来となる伝説の説明もあった。

その昔、高山掃部(たかやまかもん)という長者の奥方が強欲の挙句に大蛇に変身し暴れて人身御供を求めたので、松浦の国から生贄として小夜という娘を買ってきて捧げたが、娘が経文を投げつけると大蛇はもとの長者の奥方に戻り、古墳はその角を埋めた場所であるとの話。

 

公園から墳丘へは少し先の信号を渡る。 

 

墳頂の杉の木が絵になる。

 

長軸は南北方向。グーグルアースで形がよくわかる。 

 

道路を渡って西側から。

 

農道を通って前方部へ。

 

レンズに雨粒がついていた。

 

西側くびれ部のカーブ。 

 

墳丘へ上がり始めて振り返って。

 

たわわに実る柿の木。おそらく渋柿なのでしょう。

 

下から見上げる一本杉。

 

空洞部分(?)はしっかり補強されていた。

 

後円部墳頂から北側。向かいが古墳公園。 

現在はここから2kmほど先に胆沢川が流れる。

 

パノラマで。

 

南側をパノラマで。

 

台地の端ではない立地にもかかわらず、結構遠くまで見渡せた。

北上盆地の南部、胆沢川がつくった緩やかな扇状地の中ほどで標高70~80mの平坦地の真ん中に築かれている。

 

後円部墳丘は螺旋のスロープのように変形していた。

 

東側からの墳丘。