前回のつづき。
名鉄名古屋線・宇頭駅から一駅乗った新安城駅で乗り換える。
名鉄・西尾線のホームの片方には車止め。
ホーム先端から振り返って。
その背面の東側。左はパノラマスsuperの車両。
新安城から2駅乗って南安城駅で下車。「あんくるバス(市内循環バス)」が目の前で行ってしまったので、歩いて安城市歴史博物館へ。
県道78号を南東へ10分強で大きな展示施設が見えてきた(トラックは手前の物流会社のもの)
博物館正面入口。
奥には広い公園があった。一帯は安祥城という戦国時代の城址でもあった。
常設展示は一般200円。2階が常設展示室。このとき1階では企画展「幕府崩壊-幕末維新を生きた地方の証言者たち-」が開催されていた。
https://ansyobunka.jp/rekihaku/use/index-use.html
広い部屋には縄文期からの展示があった。
https://ansyobunka.jp/rekihaku/collection/index-collection.html
堀内貝塚の土壙墓。
同じく土器棺墓。
弥生期では重文の人面文土器(このときはレプリカだが撮影不可)を見ることができた。
弥生時代、このあたり(西三河)の鹿乗川流域遺跡群では、地元の土が使われた近畿・北陸・関東のタイプの土器も出土している。
弥生後期、他地域の形をした土器が多量に出土する遺跡は日本各地で見つかっていて、関東以西では各地域の拠点交流が活発であったと考えられるそうだ。
鹿乗川沿いには弥生時代から古墳時代前期にかけての集落遺跡が連なり、そこに古墳が築造されている。
愛知県の主要古墳分布図。西の庄内川、中央の鹿乗川(矢作川)、東の豊川と、川沿いに多く立地する。
鹿乗川沿いをズーム。
この日に訪ねたあたりはその右岸で、40番:薬王寺(宇頭大塚)古墳、41番:和志山古墳、42番:塚越古墳、43番:獅子塚古墳、44番:姫塚古墳となる。
そしてこのあと訪ねようとしていた場所は”桜井古墳群”であることをここで知った。
桜井古墳群の登場
古井町から桜井町にかけての碧海(へきかい)台地東縁部を中心に分布する23基からなる古墳群です。台地下に広がる集落と関係が深い古墳群で、二子古墳・姫小川古墳・塚越古墳・獅子塚古墳の4基が古墳時代前期の古墳と考えられています。これらの古墳の多くは、愛知県内に埴輪が普及する以前に築造されたため、埴輪はありません。また、墳丘が崩れるのを防ぐ葺石もないという特徴がみられます。
ジオラマは二子古墳。
出土した品々も。
塚越古墳から出土した鏨(たがね)、鋸、紡錘車形石製品。
桜井古墳群からは5km西の北本郷古墳より、内行花文鏡や鉄剣、鉄斧、管玉・小玉が出土。
古墳の編年表もあった。安城東部の桜井古墳群は前期から中期にかけて築造されている。
西三河全体では中期初頭の正法寺古墳をピークに古墳の規模が縮小し、尾張・東三河よりも早くに前方後円墳の築造は停止となり、 6世紀中葉以降は小規模な円墳が主体となる。いち早く横穴式系の埋葬施設が取り入れられ、周辺地域に影響を及ぼした三河型横穴式石室が生まれているそうだ。
古代集落跡の出土物。
寺院・仏教関連のコーナー。
矢作川は岡崎平野に出るとゆっくり流れることから、川船で物資を内陸部に運ぶことができたそう。
安城では、七夕の夜に芝居の舞台を小さくしたような人形ジオラマ、「額」を飾る習慣があったとのこと。
三河煙火(花火)のコーナーも。
矢作川といえば明治用水(全国の小学生で有名)なので、展示も充実。
ごんぎつねの新美南吉のコーナーも。安城高等女学校で5年間教鞭をとっていたそうだ。
このあとの予定があったのであまり時間をかけられませんでしたが、見どころがとても多い博物館でした。