前回の探訪地から、南に徒歩22分の荒子古墳を目指した。
小針古墳があった台地の縁から、田んぼが広がる低地に下りる。
道路脇にあった「水位」標柱。全体が湖のようになる大雨もあったのだろう。
今も清水が湧き出ている場所があった。
耕運機の後ろにカラスの大群。
農道から北側の眺め。中央左の白いビルの後ろが小針古墳。
右の農道を奥から歩いてきた。このカーブで台地上に上がる。
そのすぐ先、住宅街の中に古墳公園があった。
南東側から。
荒子古墳は下記の「みかわこまち」によれば、高さ約3m、南北径約25mの円墳。
https://mikawa-komachi.jp/history/utouootsuka.html
パノラマで。
北東側から。
額田大玉さんの感想と同様に、北側に前方部がくっついているようにも感じられた。
http://kofuntokaare.main.jp/7goufun/page124.html
斜面の崩壊具合によるのかも知れないが、なんとなくくびれ部のようにも。
墳丘西側を北から。
墳丘西側を南側から。
きれいに枝打ちされていた。草も刈られ、ロープも張られて丁寧に保全されている。
残っていた大きな切り株。根は主体部を壊してしまう可能性があるが、墳丘を崩れにくくすることに役立っているのだろう。
切り株脇から北東方向。
西側から。
この荒子古墳から100mほど西にも、円墳が残っていた。
北裏(北浦)古墳は 、高さ約3m、南北径約20mの円墳(初出のサイトによる)
東側から。こちらも綺麗に整備されていた。
南側から。左の看板には「大塚公園」とある。
立派な石碑は区画整理事業完成を記念するものだった。
その後ろは柵がなかったので墳丘に上がらせていただいた。
墳頂から南側。
墳丘の北側。
パノラマで。
荒子古墳がある東方向。
南西方向。
南西から見上げた墳丘。
公園脇の町内案内図。現地にもこれが「古墳」であることの解説があったほうがよいのでは?
上の案内図の下部中央に「薬王寺」とあるが、そこも古墳であったことを後で知った。
宇頭大塚古墳(うとうおおつかこふん)は前出のサイト「みかわこまち」によれば前方部を南西に向けた前方後円墳で、後円部径約30m、前方部の長さ約30m、周濠も含めた全長70mと推測され、外観から古墳時代の中期中葉の築と推察されるという。
前方部は江戸時代初期の東海道(現在の国道1号線)開設の際に削られて、現在は後円部上に本堂が建っているそうだ。
またもう1基、薬王寺の北方約300mの安城市柿碕町の集落の東端に高さ約1.3m、南北径約11mの平塚古墳という円墳もあることも記されていた。