11月下旬、筑波山の麓の古墳をいくつか巡った。
一つ目は筑波山口バスターミナルのすぐそばにある沼田八幡塚古墳。
1987年までは筑波鉄道の筑波駅で、筑波山登山の玄関口として賑った。鉄道廃止後もしばらくはバス路線での結節点だったが、登山口・ケーブル駅のある筑波山神社入口までは車で8分登る(徒歩40分)ので、つくば駅からの観光客はここで降りることはないようだ。
上記の位置から振り返っての筑波山。
南側には無料の駐車場がある。古墳見学にはここを利用した。
駐車場のすぐ後ろには鉄道跡のサイクリングロード。
旧ホームの面影が。
土浦から桜川市まで、なんと40kmのサイクリングロード(つくばりんりんロード)が続いている。
ここは街中なので一時停止が多い。
ずっと先まで一直線。
沼田八幡塚古墳はさきほどの駐車場の南東150mほどにある。
燈籠の間の石段から後円部に上がる。
墳頂に八幡様が祀られているので八幡塚。
墳裾にあった説明板。
茨城県指定史跡 八幡塚
昭和12年3月9日指定
本古墳は筑波山麓の低位段丘上に、主軸方向を南南東にして構築された前方後円墳で、桜川流域で最大級の規模の古墳である。前方部は遺存状況が悪かったために昭和53年度に推定復元されており、後円部頂には八幡社が祀られている。
墳丘復元に先立つ茨城大学の発掘調査によると、全長約90m、後円部径約58m、前方部長約32m、同先端幅約35m、後円部は三段、前方部は二段以上の構築で、裾部に葺石や埴輪のあったことが確認された。
周隍(しゅうこう)は不明瞭だが、前方部東側の八幡池を中心に墳丘東側には存在していたようである。写真の人物埴輪頭部は八幡池から出土したという。
築造時期は主体部が未調査のため明確ではないが、墳丘出土の埴輪から、古墳時代後期、6世紀前葉頃と考えられている。当時は墳丘が巨大化し、埴輪祭祀が行われ、地域毎に有力な政治集団が成長、発展した時代である。そのため本古墳は当地方の国造だったとされる阿閉色命(あべしこのみこと)の墳墓との説もある。
なお、西方約60mに横穴式石室を露出する円墳が所在している。
平成8年3月 つくば市教育委員会
八幡様に参拝して振り返って。
その先には前方部がある。
全長90mは大きい。
昭和53年の復元だそうだが、現場では(解説をきちんと読んでいなかったので)そうと気づかなかった。
前方部先端から西側隅。
東側の前方部隅。
解説によれば、この八幡池を中心に周濠があったようで、ここから人物埴輪頭部が出土している。筑波山が山裾まできれいに見えた。
前方部端から見たくびれ部・後円部。
前方部西側裾に降りたところから。
西側からパノラマで。左が後円部、右が前方部。
東側裾からパノラマで。右奥が後円部。
東側のくびれ部。
後円部を先端側から。
左が後円部、右奥が前方部。
解説板の最後の一文「なお、西方約60mに横穴式石室を露出する円墳が所在している」を後で書き起こしていて知って現地で読まなかったことをとても後悔した(いつものことですが・・・)
ストリートビューで墳丘は確認できます。
後円部脇のお宅に咲いていた花。
茨城県のサイト「常陸国風土記」にも当古墳の解説があった。
http://www.bunkajoho.pref.ibaraki.jp/fudoki/visit/12/index.html