墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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東京海洋大学 雲鷹丸 @東京海洋大学品川キャンパス 東京都港区港南

前回のつづき。世田谷の国士舘大学から品川の東京海洋大学へと、文化祭を梯子する形になった。

品川駅の東口(港南口)を出て、東に徒歩10分ほど、高浜運河の橋を渡った右側に東京海洋大学のキャンパスがある。 

 

海鷹祭(うみたかさい)と書かれた門柱には魚の頭がついていた。

東京海洋大学は、東京水産大学と東京商船大学が統合してできた総合海洋系大学で、東京水産大学を前身とする品川キャンパスには海洋生命科学部と海洋資源環境学部があって10月下旬~11初旬頃に「海鷹祭」が、東京商船大学を前身とする越中島キャンパスでは6月前後に「海王祭」が開催される。

http://www.umitakasai.net/about/index.html

 

3年前に越中島キャンパスの海王祭を訪ね、明治丸を見学した。

 

今回は雲鷹丸(うんようまる)の見学。

2018東京文化財ウィークのガイドブックの表紙を飾る特別公開物件(11/2~11/4)

正門から一番遠い奥にあるので、模擬店で賑うメインストリートを通る。さすが海洋大学だけあって、海の幸を使った非常に魅力的な料理ばかり。船の見学後に、名物のマグロ丼とアラ汁をおいしくいただいた。

 

海洋大学文化祭ならではの、プールの釣り堀。

 

その近くに、雲鷹丸が静態展示されていた。

 

その説明板。

 

上記はボリュームがあったので、現地でいただいた東京文化財ウィークカードの説明を。

来年で竣工100年。明治丸(明治7年)から35年を経て、明治政府は漁船にも甲板をつけて遠洋漁業の振興を図ろうとしていた。

国登録有形文化財(建造物)

東京水産大学 雲鷹丸(うんようまる)

雲鷹丸は、明治42年(1909)に農商務省水産講習所の鋼製補助機関付帆装練習船として、大阪鉄工所(現・日立造船)桜島工場で建造されました。それまでの我が国の漁船は無甲板の木造船で、遠方への出漁には不向きでした。明治政府は遠洋漁業の振興を目指し、漁船の構造を西洋形に改め乗組員の技術向上を図るため、西洋形漁船の新造に奨励金を交付します。こうした気運の中で明治30年に水産講習所が開所され、雲鷹丸はその二代目の練習船として建造されます。総トン数444トン、船長41.2mで約80人の搭載が可能、船体や機関等は当時の最新技術が用いられ、国産鋼製船舶としては現存最古です。また、3本マストのバーク型帆装の設計は、当時世界最高レベルであった英国に発注されました。

明治42年から昭和4年までの20年間で33回の航海を行い、600人余の学生を育成し、捕鯨実習や漁業調査・技術開発に多くの貢献をしました。特にカムチャッカ沖での漁獲物処理では船上でのカニ缶詰製造に成功し、後の大型蟹工船の先駆けとなります。昭和37年に東京水産大学(現・東京海洋大学)のシンボルとして現位置に移設されました。

 

丸い船尾。

 

3本マストの一番後ろに、垂直尾翼のように縦型の帆が張られる「バーク型帆船」

 
マストが3本以上あって、その全てに横帆が張られているものが「シップ」

3本以上あって最後尾のマストには縦帆が、それ以外のマストには横帆が張られるものが「バーク」

マストが2本以上で、その全てに縦帆が張られているものが「スクーナー」だそう。
バーク型帆船は少人数でも運航可能なことが特長で、海技教育機構の練習船「日本丸」や「海王丸」もバーク型帆船とのこと。

 

船尾を横から。

 

空高く3本マスト。

 

船首からマストの先を経て船尾まで連なる旗は、祝祭日や式典に際して船が祝意をあらわす満船飾。

以前は万国旗が用いられる場合もあったが、国旗の順序・上下が国家間の上下関係を示すと解釈されるおそれがあるので国際信号旗を掲げるようになったそうだ。

 

こちらは校内にあるマリンサイエンスミュージアムのホールにあった雲鷹丸の大型模型。 現状の船は土の中に胴体が半分くらい埋まっていることがわかる。

 

間近でみる船首。

 

SLが修復されて現役復帰するように、もう一度海に浮かんで帆を張る日が来ないものか。

 

突き出た船首は縦帆を張るためか。

 

この日は甲板にも上がれるようになっていた。 

 

下から見上げるマスト。

 

先頭のマストには大漁旗もかかっていた。

 

青空によく映える。

 

大事なマストを守る木枠。

 

船尾の部屋の屋根。

 

そこから船首方向。見学は甲板上のみで船室へは入れない。

 

中央のマストを背にして船首方向。

 

船首の屋内。

 

鋼板と支える梁の構造がわかる。

 

碇を操作する装置も残っていた。

 

雲鷹丸はバーク型の「米国式捕鯨船」で、今は世界でこの一隻しか残っていないそうだ。

バーク型米国式捕鯨船
米国式捕鯨とは、300トン級の帆船に数隻の捕鯨艇を搭載し、獲物を舷側で解体する方法です。鯨油を採取する目的で広く世界中の海域で操業していました。
この米国式捕鯨船の補給基地を確保するため、米国は1853年にペリー提督を派遣し、日本を開国させたとも言われています。
雲鷹丸でも実際に捕鯨実習が行われていましたが、1912年に学生が亡くなる事故が起きたことをきっかけに中止されました。
その後捕鯨は、大型母船と付属するノルウェー式捕鯨船を主力とする船団方式に移行し、世界中を席巻したバーク型米国式捕鯨船の姿を留めるのは、世界で雲鷹丸ただ一隻となりました。

 

マストからのロープをしっかり支える器具類。海に浮かんでいなくても、きちんと保存するのは大変だろう。

 

ロープが描く幾筋ものラインが美しかった。

 

現在の東京海洋大学は、海鷹丸(うみたかまる)などの練習船を複数保持している。

https://www.kaiyodai.ac.jp/overview/facilities/ship/trainingship.html