墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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長宮氷川神社 埼玉県ふじみ野市長宮

前回のつづき。

上福岡歴史民俗資料館の前の道は80m北西でそのまま長宮氷川神社の正面に続いていた。 

 

境内にあった教育委員会の解説板。参道が長かったので「長宮」、ということは博物館前も参道だったのだろう。

長宮氷川神社
長宮氷川神社は、江戸時代中期に記された由緒書などの記録によれば、平安時代中期の長徳元年(995)に北面武士の星野信秀が出雲大社から祭神(建速須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命)を当地に勧請(神を移すこと)したことに始まる。「長宮」の名称のもとになったと伝わる参道は、四町十六間(約465m)に及び、民家が軒を連ねる様子から「長宮千軒」と呼ばれたという。
江戸時代には福岡村・中福岡村・福岡新田の鎮守になり、明治時代に福岡村の村社に指定された。明治40年代の神社合祀で、天神社・愛宕社・日宮社などが境内に移された。
拝殿に奉納された江戸時代前期作の絵馬四点が市の文化財に指定された。
(中略)
平成17年10月1日 ふじみ野市教育委員会

 

現在残っている参道は50mほど。

 

ちょうど七・五・三がお揃い(?)で参拝のご家族がいらして、幸せの気が溢れていた。

 

社殿は、台地のゆるやかな斜面の下端に立地する。

 

手水鉢が「出会いの泉」という作品になっていた。

奇稲田姫命の像がある上から水が流れる。

 

下流に建速須佐之男命が水をすくっている。

 

茨城県産出の稲田乃御影石(13トン)が使われている。柳沢豊郷氏の作品。

 

最初の鳥居に戻ってY字路を左に進んで最初の十字路。北西(右)も南西(左)も、かつて陸軍造兵廠があった上野台へ上る道。ここは上らずに北東側に進んだ。

 

角地のコスモスがきれいだった。

 

コスモスの角を曲って250mほど歩くと、左手に木立の丘が見えてきた。

つづく。