墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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笄坂 牛坂 東京都港区西麻布

8月上旬に遡るが西麻布の居酒屋で飲み会があり、直前に行ったついでに近くの坂へ寄ってみた。

霞町の交差点から渋谷方面へ上るのは、笄(こうがい)坂。

 

坂名は地名から、地名は川の名から来ている。

こうがいざか
坂下を流れていた笄川の名からついた付近の地名によって、こう呼ばれるようになった。 

 

坂上から見下ろしたところ。高架は首都高3号渋谷線。高樹町出口付近。

 

笄とは、小刀や短刀の鞘に取り付けられていた小道具(刀装具)で、武士が髪の乱れを整えるのに用いていた。下記のサイトに詳細な説明がある。

http://asahitoken.jp/contents/06_kokogaku/kokogaku-C.html

 

笄坂の南に平行するように、牛坂がある。

 

なんと「牛車」に由来すると想像される古代からの交通路!

うしざか
源経基や白金長者伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。

 

趣のある傾き加減。 

 

坂を降りる前、上記で右手(南)を見ると、樹木の覆われた小道があった。

 

少し上り加減になって。

 

その先で谷になる。

 

待ち合わせの時間になっていたので、探訪は次の機会として牛坂へ引き返す。

 

ストレートな牛坂を降りて振り返ったところ。

 

空に露出を合わせるとこんな雰囲気だった。

 

坂下側の標柱。

 

下記の、西麻布ー高樹町の太い道が笄坂で、その下の麻布食堂ーバナナ・フィッシュが牛坂になる。

 

東京時層地図アプリで、同じ位置の140年前。上記のバナナ・フィッシュのあたりに笄橋があって、北から南に笄川が流れている。水源は今の根津美術館の池。

「牛坂」の表示があるが、その上、今の笄坂は「北坂」とあった。

 

関東大震災前には笄橋は暗渠になっていた。牛坂上の南の谷筋の流れが合流するあたりで開渠になっている。