墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三陵公園(宣陵・靖陵 世界遺産朝鮮王陵) ソウル特別市江南区三成洞

前回のつづき、2日目のソウル。

家族で行動する前に、一人で三陵公園を訪ねた。

朝6時半の地下鉄4号線、明洞駅ホーム。

 

漢江は鉄橋で渡る。ちなみに椅子は金属製で固い。

がらがらだったが、戻るときは通勤客で満杯だった。

 

銅雀駅で9号線に乗り換えて、公園に近そうな宣靖陵駅で下車したが、入口は南縁にあって2号線の宣陵駅の方が近かった。

このあたりは江南(ハンナム)区。東京で例えれば青山あたりのイメージ?

 

公園の壁は駅の近く。そこから壁に沿って、きれいな歩道を散歩気分で。実際に朝の散歩をされている何人もの地元の方とすれ違った。

 

ゆるやかな坂を降りていくと壁の向こうに墳丘が!

 

墳丘の麓には拝所?

園内には人の姿がない。この時点で7時半ぐらいだったので塀の外から覗くしかないかと思いつつ入口方向へ。

 

こちらが入口の門。

やはり有料で開園時間が決まっている公園だったが、なんともう開門していた!

 

日本だと有料タイプの公園は普通10時から、早くても8時だが、ここはなんと6時から(閉園21時)だった。 一般1000ウォン(≒100円)

 

現地説明板はハングルと英語のみ。

 

パンフレットは日本語も用意されていた。以下はそこからの抜粋。

519年の歴史をもつ朝鮮王朝は儒教の統治理念とし、先祖への尊敬と崇拝に重きを置き、歴代の王と王妃の陵を厳格に管理した。そのため、42基の陵がほとんど損傷を受けたり損壊することなく、ずべて造営当時の場所で完璧に保存されている。

 

朝鮮王族の墓は計122基あり、このうち陵が42基、園が14基、墓が66基である。朝鮮王族の墓は、墓の主の身分によってその名称が異なり、陵は王と王妃の墓、王世子や王世子婿または王の私親の墓、そのほかの王族の場合、一般人のものと同じく墓と呼ぶ。
42基の陵のうち、北朝鮮の開城にある斎陵(太祖正妃・神懿王后の陵)と厚陵(定宗・定安王后の陵)を除く40基が韓国になる。このように、500年以上昔の王朝の陵が完全に保存されているのは世界でも類を見ないほど珍しい。

 

1392年から1910年までの朝鮮王朝の519年間の歴代の王墓群は、2009年に40基がまとめて世界遺産に登録された。ここ三陵公園にある宣陵(ソンルン)は第9代・成宗(1457~1494)と継妃(王の後妻)の貞顕王后ユン氏の墓、靖陵(ジョンヌン)は第11代・中宗(成宗の息子)の墓になる。

王と王妃の陵(併せて宣陵)と、その息子の王の陵(靖陵)で、三陵公園。

 

後で調べるとソウルナビの情報が詳しかった。この先の説明はそこから抜粋した。

 https://www.seoulnavi.com/miru/1482/

 

最初に地図の右(東)側にある靖陵から回った。

 

入口から靖陵への道。江南地区にある都心の公園なのに陵墓の近く以外は深い森のようだった。全体の面積は18haなので、日比谷公園(16ha)や上野公園(14ha)より広い。

 

広場に出ると大きな墳丘が現われた。

 

大きな丘の上の小さな盛土が墳墓(陵寝)で、第11代の中宗(1488~1545)が眠る。

同じ公園内の宣陵に葬られた成宗と貞顕王后との間に生まれ、1506年に腹違いの兄である燕山君(第10代)が廃位したあと、第11代の朝鮮王となった。

もともと、1545年に第一継妃の章敬王后と共に別の場所(高陽市西三陵の禧陵)に葬られたが、第2継妃の文定王后によって現在地に移されたらしい。

王妃が隣り合わない「単陵」

 

 

丘の前には陵の祭祀を行う丁字閣

 

振り返った先には紅箭門がある。背後はオフィス街。

王陵の場所は、王城から10里(4km)以上100里以内の風水地理の良い条件の場所に造成された。下記のマップでその18ヶ所が確認できる。

https://map.konest.com/daccess/spot/2988/?pop=1

 

側面から見た丁字閣。屋根下の妻壁は逆さの扇形。屋根の縁には小さなシーサーのような神獣(?)が行列していた。

 

手前の階段は立入禁止。奥の階段から上る。

 

建物内部には、法事などを行うテーブルや椅子が置かれている。

 

テーブルの手前からズームで。門と丁字閣、陵寝が一直線上に位置する。

上部へ向かう道は無かった。

 

カラフルな軒下。エメラルドグリーンが目立った。

 

そこから宣陵へは森の中を10分ほど歩く。

 

山道のようなアップダウンもある。

 

そのまま進むと、第9代の朝鮮王・成宗(ソンジョン)の継妃(王の後妻)である貞顕王后の墳丘上に出た。

 

柵から右側に視線を移すと「陵寝」と呼ばれる核心部分。

 

それを近くで守る動物は羊や象。

 

その前を文武の石人と石馬が守る。

 

武石人をアップで。

 

文石人の後姿。

 

陵寝の正面に置かれた魂遊石(ホニュッソッ:上の四角い石)

その丸い脚には鬼面が刻まれている。この下には地下石室とつながる通路があるといわれるそうだ。

 

丘を下りながら振り返って。地形を活かして斜面に造られていた。

 

丘の先端まで行くと石人たちは見えなくなった。

 

そこにあった説明板。

 

王妃の墓とは浅い小さな谷を隔てて隣合うのが王の墓。王と王妃の墓が「同じ敷地内で別の丘にある」形を、同原異岡陵(ドンウォンイガンヌン)というそうだ。

 

この時は間が工事中で大きく迂回したが、ここも墳頂の縁まで上がることができた。

 

円形の頂きを半分囲むように壁が築かれている。

 

第9代朝鮮王・成宗が眠る「陵寝」

 

陵寝も、石人や石馬も、その大きさは王妃の陵と同じようだった。

 

陵寝脇の羊や象も。

 

ちなみに、この羊の石像は上野の東博のアプローチにもある(韓国江原道:18~19世紀)

 

文官の石像も(韓国江原道:18~19世紀)

ただし高さは王陵にあるものの半分くらい。

もとは「陵寝」を守っていたものなのだろう。

 

成宗王陵をパノラマで。

 

左が武石人、右が文石人。

 

成宗王陵から南側の眺め。中央に見える宣陵丁字閣は、王陵と王妃陵との間に中心軸をとっている。

 

その丁字閣を側面から。

 

紅箭門の先から見た宣陵の参道。左奥が成宗王陵。

 

その説明板。 

 

宣陵の王陵、王妃陵、丁字閣の位置関係。

 

そこから入口に戻る途中に齋室(チェシル)があった。

法事の準備や王・王妃の休憩のために使われた部屋だそう。別の本には、王陵を管理する陵参奉が滞在した場所とあった。

 

門から入った正面の建物は四間で、入口は左寄り。

 

ちょっと中に入って休みたくなるような扉。

 

扉の前から振り返って。

 

前庭の回廊。

 

門から出たら雉がいた。

 

公園を出て宣陵駅へ。街にはそれぞれのオフィスへ向かう勤め人が沢山行き交っていた。