墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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弘大と明洞の夜店

前回のつづき。

ソウル市街の東にあるオリンピック公園(夢村土城駅)から、西の弘大入口駅まで、地下鉄で1時間ほどかけて移動して、焼肉屋にて、家族&現地の知り合いと合流した。

弘大(ホンデ)地区の名は、ここに芸術系私大の弘益大学校(1946年開校)があることに由来するそうだが、若者が集まる繁華街として賑っている。東京でいえば渋谷?

 

焼肉とマッコリを堪能した後に、通りをぶらぶらと。

 

アクセサリー屋さんなどのファッション系の店が多い。

 

イヤリングの屋台。

 

ストッキングの店?

 

緩い坂道をそぞろ歩き。

 

圧倒的に若者が多かった。

 

14時から22時までが歩行者専用(と想像できる)

 

街角ライブも。

 

いたるところでLINEキャラクターを見かけた。

 

地下鉄出入口は大通りにある。

 

知り合いと別れ、地下鉄に乗って乙支路入口駅へ。

 

この日のホテルは家族と別だったので、自分だけそこから明洞へ歩いた。

途中で信号待ちをしていたら目を惹く建物があった。

 

昭和初期風の雰囲気だと思ったら1928年(昭和3年)築、日本統治時代に建てられた旧京城電気本社で、現在は韓国電力公社の社屋だそう。ソウルで初めてエレベーターが設置され、約580個の電灯がつけられた建物で、登録文化財第1号に指定を受けている。上2階は1965年の増築部分。下記のソウルナビより。

https://www.seoulnavi.com/special/5003373

 

そのビルの裏側のエリアは明洞(ミョンドン) 

 

気になる細道がいっぱい。

 

まれに日本語がある。

 

飲食店が沢山入るビル。

 

競い合って(?)通りまで、はみ出たメニュー。

 

明洞駅に近くなると人も増える。こんな通りが縦に2本、横に1本。

 

そして、たくさんの枝道。

 

そんな繁華街の一画に、明洞芸術劇場がある。

 

前出のソウルナビによれば、こちらも日本統治時代の1936年(昭和11年)の竣工。設計は玉田橘治で、映画館・劇場の明治座として建てられ、1959~1973年までは国立中央劇場として使われた後に現代投資信託証券が入ったが、2009年6に明洞芸術劇場としてリニューアルオープンしたそうだ。

 

壁の曲面が美しい建物だった。中も見たかったがこの日は休館日のようだった。