墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

前橋天神山古墳 群馬県前橋市広瀬町

前橋天神山(てんじんやま)古墳は、前回の八幡山古墳と200m程しか離れていない。

 

住宅街の枝道へ入ると説明板があった。

群馬県指定史跡 前橋天神山古墳
指定年月日:昭和45年12月22日
所在地:前橋市広瀬町1-27-7
4世紀後半の古墳時代前期に、東日本で最も早く造られた前方後円墳の一つです。主軸を東西方向にとり、全長は129m、後円部の直径は75mありました。後円部は3段に造られ、葺石により覆われていました。墳頂部には、赤く塗られ底に孔が開けられた壺形土器が四角く配列されていました。その中央部に全長7.8m、巾1.2mの長大な粘土槨(遺体を納めた木の棺を被覆したもの)が検出され、その中から、三角縁神獣鏡を含む鏡5面のほか銅の鏃や鉄の剣、鉄の斧や鑿などが出土しました。また、赤い顔料の入った滑石で造られた小型の壺も出土しています。
たくさんの出土品のうち、粘土槨の副葬品は、国の重要文化財として東京国立博物館に所蔵保管されています。しかし、残念なことに、古墳は区画整理事業により、前方部は削平され後円部だけが四角の丘として残されることになりました。
古墳時代は、巨大な前方後円墳の出現で幕を開けます。天神山古墳の出土品から、鏡は宗教、鏃や剣や武力、そして斧や鑿は生産の象徴としての首長の姿が浮かび上がってきます。

発掘調査の経過
・第1次調査:昭和43年7月~8月 墳丘部現状実測・後円部葺石調査
・第2次調査:昭和43年11月 周溝調査
・第3次調査:昭和44年3月~4月 後円部埋葬主体部(粘土槨)調査
・第4次調査:昭和44年7月~8月 前方部周溝調査

前橋市教育委員会

 

説明板にあった、かつての雄姿。

三段築成の全長129mは大きいし、4世紀後半とは古い。

 

発掘時の粘土槨と出土した三角縁五神四獣鏡の写真。

 

かつての墳丘の実測図。墳頂が尖っている感じ。

右上が北で、長軸は北東ー南西を向く。

 

「朝倉・広瀬古墳群(2015年・前橋市教育委員会作成)」では築造時期を4世紀前半から中頃としている。

https://sitereports.nabunken.go.jp/16308

同資料には、初期前方後円墳では東国最大の前橋天神山古墳は、墳丘の形が崇神陵古墳や景行陵古墳などと良く似ており、日本列島の経営に乗り出したヤマト王権と政治的結びつきを強め、八幡山古墳の首長の地位を受け継いで毛野国の基礎を築いた首長の墳墓と思われる、と記されていた。

 

今は周囲をとことん削られて、後円部の一部が島状に残るだけ。

 

階段で登れるようになっていた。

 

竪穴式の埋葬施設(粘土槨)があった部分だけがポツンと残っている。

 

側面は急斜面。

 

埋葬主体部はコンクリで保護されていた。

 

シンプルな標柱。

 

かつてはここを頂点に、直径75mもの後円部があった。

 

前方部が存在していた方向。

 

墳丘を削ってまで整地した土地が更地とは・・・

 

南東側の眺め。

 

北西側には保育園があった。

 

足元に注意しながら急階段を下りた。

 

 

こちらは、東博の考古学展示室の三角縁神獣鏡コーナー。

 

改めて訪ねると、確かに前橋天神山古墳の三角縁四神四獣鏡があった。

が、四神なので説明板の写真のものとは異なるようだ。

 

三角縁神獣鏡コーナー内では、ひとつだけの重要文化財