墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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根岸の細道 神奈川県横浜市中区簑沢・寺久保・坂下町

前回のつづき。  

旧根岸競馬場スタンドを見学した後は横浜市電保存館へ行ってみることにした。

スマホマップに入力すると徒歩20数分。 

 

が、後で気づいたが、このルートは米軍住宅内を横断しており、実際はもっと大回りになった。

 

まずは公園の北西側から出ると、谷地形に。

 

先が気になる行き止まり。

 

斜面に沿った細道を進んだ。

 

左に競馬場跡が見え隠れする。

 

スマホマップに従って進むと途中で不自然な地形が。

 

階段を上がると米軍施設のゲートがあった。スマホのルートは基地の中へ・・・

怪しまれないように道路を渡って反対側の階段を下りた。土手は基地入口に向けて人工的に造成されたものだった。

 

降りた先には魅力的な細道が続いていた。ここは左へ。

 

蔦の崖沿いに。

 

小さな高低差を越えて。

 

進んでいった先にも米軍住宅があった。

 

金網に沿って回り込んでいくとまた細道が。

 

その道は急階段に続いていた。

 

かなりの高低差。

 

崖はコンクリで補強されている。

 

”踊り場”から見上げて。

 

坂道沿いの看板。

 

階段の最下部から。

 

普通の道に出て振り返ったところ。階段は右の先にある。

 

掘割川にかかる磯子橋を渡る。

 

横須賀街道(国道16号)を渡って道に沿って北へ。滝頭のバス停。

 

近くには「ちんちん電車の走った道」の解説があった。

ここは明治45年4月に横浜市電の滝頭車庫と修理工場がつくられ、市内交通最大の拠点となったところです。この年に駿河橋から八幡橋まで延長された市電は大正14年4月に磯子、11月に聖天橋まで、昭和2年3月には杉田まで延び、通勤・通学やお買い物の足として大活躍しました。夏には横浜各地区の子供たちが電車に乗って磯子の浜辺に海水浴に来ました。乗務員同士の合図や路面安全の信号音から「ちんちん電車」と呼ばれて親しまれ、また横浜の大きなお祝いのときには華やかに飾った「花電車」が昼も夜も市民の目を楽しませてくれました。特に磯子区内は掘割川の緑の柳や根岸湾の青い海の眺めが素晴らしい路線でした。
昭和30年代の最盛期の横浜市電は路線延長52km、1日の平均乗車人員30万人に達し、横浜の発展に大きな貢献をしました。しかし、その後は自動車交通量の増加に押されて運行もままならなくなり、昭和47年3月31日に明治37年「横浜電気鉄道」として運航開始してから68年の歴史の幕を閉じ、その役目を地下鉄に譲ってここはバスのターミナルとなりました。
栄光の電車たちは市電保存館で体を休め、今でも横浜の子供たちの人気の的です。

つづく。