前回のつづき、今回の墳行で最後に訪ねた古墳は、御厨古墳群から1.5kmほど北にある二子塚古墳。太田川右岸の同じ尾根筋。
南北軸の前方後円墳はグーグルアースでも形がわかりやすい。
周囲は築浅の家が並ぶ住宅地で、きれいに整備された公園の西半分が墳丘だった。
現地の案内板。
二子塚古墳は全長55mの前方後円墳(5世紀後半)
二子塚古墳
古墳は、日本語で墓を意味します。
磐田原台地の東端に位置し、ほぼ南北方向に造られた前方後円墳です。二ツ山古墳とも呼ばれ、2つの塚が並んでいることから名付けられたものでしょう。
明治時代に棺をおさめた中心部から馬の飾りなどが発見されています。また、平成7年度の東部土地区画整理事業に伴って周りをめぐる溝の発掘調査を行った結果、墳丘に並べた人・馬などの埴輪が見つかりました。県内最古級の馬に関する遺物であり、埴輪と実物がセットで発見された珍しい例です。
発見された遺物から5世紀後半(1500年前)に造られたことがわかりました。中遠地域周辺を治めた有力者の墓であると考えられます。大きさ
全長55m、後円部径30m、墳丘高さ3m、周溝幅5~8m、前方部幅33m
出土遺物
①銅鏡 ②管玉(首飾りの部品) ③円筒埴輪・形象埴輪(人・馬・犬・鳥・いす・家) ④馬鐸(馬の首に付けた鳴り物) ⑤鈴付杏葉(馬の背につけた飾り) ⑥菱形の杏葉 ⑦三環鈴(馬の飾り)
③は平成7年度出土品、④⑤⑦は市指定文化財
説明は二ヶ国語表記で、何語かわからなかったが、tamannho を調べたらポルトガル語(意味は大きさ・サイズ)だった。
磐田市のサイトを見ると、2018年現在では市内人口の外国人割合は4.3%の約7400人、その内ブラジル人の割合は58.6%の約4300人で、ポルトガル語併記である理由がよくわかった。
https://www.city.iwata.shizuoka.jp/about/profile/toukei/tou001.php
前方部右裾から。踏み跡を辿っ墳頂へ。
前方部墳頂から後円部方向。くびれ部を横断するように散策路があった。
くびれ部を登って降りる散策路。
散策路から見た後円部墳頂。
振り返っての前方部。
散策路から東方向。広い芝生と遊具があって、小さい子がいる家庭なら毎日通ってしまいそう。
後円部を西側の裾から。2段目が円形の形に整えられている。
「犬のフンは持ち帰りましょう」の立て札。
後円部裾を時計回りに巡る。
4月30日だったので、まだつつじの季節だった。
一回りして前方部左裾から。左奥が後円部。
この墳丘が、2018年4月末・遠江古墳旅2日間の最後の訪問地となりました。
エントリ数は31回、すでに7月になってしまいました・・・