前回のつづき。
和歌山市駅から南海本線に揺られ、車窓に関西空港が過ぎていって泉佐野の3つ先の二色浜で降りた。
駅の案内板。西に1kmほどの二色の浜海水浴場は「大阪府下随一の海水浴場」とあったが、駅の東側には見どころの記載はなかった。
確かに、国史跡・丸山古墳は南海電鉄の二色浜駅(徒歩16分)よりもJR阪和線の和泉橋本駅(徒歩7分)の方が近い。和歌山市駅から乗ったのでこのルートとなった。
交通量があるのに歩道がない道を気をつけて進み、国道26号(第二阪和国道)の歩道橋を渡る。目的地方向に木立が見えたがそれは古墳ではなかった。
墳丘が見当たらない中、住宅地を入っていくと、民家の間から土盛りが現れた。
入口に迷いながら駐車場のフェンスに近づく。
するとフェンス沿いに小道があった。
フェンスが途切れて墳丘へ。来た道を振り返って。
墳頂への道がついていた。
そこから東方向に少し広い道。
そこが丸山古墳への入口だった。
立派な石柱も。
説明板もあった。英語表記もあってさすが国史跡。
国指定史跡 丸山古墳
指定年月日 昭和31年5月15日
管理者 貝塚市(岸田秀吉氏より寄贈)
全長70m、後円部径43m、前方部最大幅27m、後円部高さ5m、前方部高さ3.5~4mの西面する前方後円墳で、周囲に濠をもたない古墳時代前期の後半(4世紀後半)のものである。南小学校内の発掘調査によって、古墳時代中期の後半(5世紀後半)の円墳4基、方墳2基が発見され、この古墳を中心とした古墳群の存在が明らかにされた。天正13年(1585)、豊臣秀吉が積善寺城を攻めた時に本陣を置いた。
平成28年3月 貝塚市教育委員会
説明板の航空写真。周囲はびっしり宅地化されていた。
墳頂に登らせていただく。
後円部墳頂。東側。
後円部から前方部。西側方向。
後円部から南側。
北側。くびれ部のカーブに沿って家が建っている。
前方部の先にはお屋敷があった。
前方部から後円部。
縦位置で。草木が刈られているので墳丘の形をよく把握できる。
最初に覗いた民家の間。
墳頂への上り道。
帰りはJR阪和線の和泉橋本駅へ。途中にあったため池。冒頭にグーグルマップにあるとおり、この周辺はため池が多い。
和泉橋本駅もこぶりな駅舎だった。
つづく。