桜で有名な「わに塚」は、山高神代桜から10kmほど南東にある。
南アルプスから釜無川へ降りていく斜面に綺麗な樹形の独立樹があった。
斜面上側からのアプローチ。 写真的には鉄塔が気になるが、避雷針の代わりになっているはず。
わに塚を除けて道がついているので、桜のおかげで墳丘が守られた?
近づきながら、同じような写真を何枚も撮ってしまった。
現地の説明板。
わに塚(王仁塚・鰐塚)
甲斐国志に「芝地十五間に十間、塚の形神前にかかる鰐口に似たり。後の人因りて名付けたるか。古墳なることを知りぬべし」とあり、土地の口碑によれば、日本武尊の王子武田王が、諏訪神社の南西桜の御所で治を行い、薨じてこの地に葬られ王仁塚と云うと。又、王は武田武大神として武田八幡宮に合祀されている。後、源太郎信義がこの地にあって、姓を武田と改め武田氏を起す因となったのである。
昭和56年10月 山梨県韮崎市
「鰐口」とはお寺の本殿前の軒に懸かっていて布縄で打ち鳴らす、大きなどらやき(の由来の銅鑼)の形をした仏具。下記に写真が。
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000012063.html
「古墳なることを知りぬべし」ということは甲斐国志では古墳との認識だったのか?
現在のステイタスは、調査はされておらず「不明」
Wikipediaを見ると甲斐国志は文化11年(1814)に成立した江戸時代の地誌。桜が植えられる前に塚はあったのだろうが桜の樹齢も300年ほどで古墳時代とは1000年の開きがある。
が、”土地の口碑”で王仁塚に葬られたという武田王が草創した武田八幡宮は、822年の草創と伝えられるという。
昇寛さんのサイトでも「一応掲載」のコメントが。
http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/nirasaki_wani/
ここでも水仙が、”墳丘”の表面で花を咲かせていた。
後ろは南アルプスの裾。
ロープに沿って回ってみた。 まだ花が残っている枝先もあった(この日は4/9)
桜の立っている場所の少し西側にも土盛があったが、前方後円墳にしては小さ過ぎるか。
グーグルアースを見ても、樹の陰でわからなかった。
現地説明板には桜に関する解説も付いていた。
わに塚の桜
種類:エドヒガンザクラ
樹齢:300年
樹高:17m
根回り:3.4m
幹囲:3.3m
枝張:23m
見頃:毎年4月上旬~中旬頃
周辺見所:武田八幡宮・願成寺
甘利山倶楽部
韮崎市観光協会の案内板も。近辺の武田八幡宮(本殿は重文)や願成寺(本尊が重文)の案内があった。
わに塚のサクラは樹齢約320年のエドヒガンサクラであり、残雪の八ヶ岳などの山を背景に咲き誇る姿は、凜とした美しさです。
例年であれば、この時期に見られたであろう満開の様子。 後ろの山は八ヶ岳連峰。
そこから東側の眺めをパノラマで。気持ちのよい景色で、いかにも古墳が築かれそうな気配を感じた。
正面は茅ヶ岳で、左端の雲の中に八ヶ岳が隠れている。上記の案内板のような構図は望遠で工夫しないとむずかしそう。
南側の眺め。そこをズームすると・・・
富士山が裾だけ覗かせていた。