墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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安塚古墳(やすづかこふん・第6号墳) 長野県松本市大字新村(安塚)

前回のつづき。

しだれ桜の安養寺を参詣後、1kmほど東にある安塚古墳を訪ねた。

グーグルマップに記されていたが、西からアプローチすると駐車場の盛土の陰になっていて少々見つけにくい。道沿いに標柱がある。

 

近づいていくと、漬物石が積み上げられたような石室があった。

 

屋根付きの説明板。

安塚古墳
1、名称 安塚古墳第6号古墳(安塚古墳群)
2、所在 松本市大字新村1042番地(安塚)
3、所有者 松本市大字新村1152番地 川久保吉雄
安塚古墳群は昭和53年県営圃場整備のとき石室の下部が発見されました。
古墳はいずれも梓川の平らな花崗岩を積み上げた横穴式石室をもち、7世紀末から8世紀前半に築造されたものと推定されます。石室上部は江戸時代になって開田(1634~1643頃)のため破壊され水田になっておりました。
この附近には20基を超える古墳が築造されていたと推定されますが。松本市教育委員会で9基の古墳について調査を行い、これらの古墳より直刀、金環、刀装具、鉄鏃、勾玉。土師器、須恵器、帯金具などの副葬品と人骨が出土しました。
この6号墳は、長さ8.1m、幅1.8m、入口は南向で前室、中室、後室に仕切られ須恵器、土師器の坏、杯蓋、高杯と少量の人骨が出土しました。
この古墳は研究資料のため、地権者、安塚町会、新村公民館、新村歴史研究会により昭和54年現地で復元されました。
平成3年2月 松本市新村公民館 松本市新村史談会 松本市教育委員会

 

細長い石室の長さは8.1m。

 

側壁の立石によって前室、中室、後室の3つに仕切られている。

 

後室の上に残る天井石。その下に奥壁が見える。

 

天井石がある側から。

 

松本市文化財ホームページ「松本のたから」には「追葬を想定した特徴ある古墳」として紹介されていた。

それによると古墳のある安塚の地名は八十塚(やそづか)に由来し、実際に元禄14年(1701)の古絵図に「西安塚」として3基の古墳が描かれるなど多くの塚があったことがわかる一方、小字の塚田・塚畑などからは古墳があった場所が水田や畑として開発されてきた歴史も、うかがわれるとのこと。

石室の位置が地表より下にあるので削平されやすかったのかも知れない。

発掘調査で8世紀前半という築造時期が判明したことにより、それまで開発時期が新しいとされていた新村地区に、古代には奈良井川左岸の集落の水源を抑える有力氏族がいたことが明らかになったが、無袖式の長大な3室に区切られた石室は、追葬を想定した家族墓的性格があり、この地方の特徴ある古墳として貴重なものだそうだ。

http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/306.html

 

説明板の隣にあった古墳供養塔。 

 

そこから北西方向、アルプスの山並み。

最初は正面の一本杉の下が古墳かと思ったが、墓地だった。

 

場所はこちら。

つづく。