墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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内野古墳群 千葉県千葉市若葉区多部田町

2018年の初墳行は千葉県の内野古墳群を訪ねた。

千葉市内にある千葉市平和公園(総面積95.4ha、その3分の1が墓地)の敷地内(一部は外)にある。

別の場所に行ったついでに立ち寄ったので、閉園時間の直前になってしまった(冬季は8時半~17時)

 

今回も昇寛さんのサイトを頼りに。

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/tibasi_utino2/

 

公園北側の事務棟そばの公園案内板に古墳の位置が3ヵ所記されていた。

墓地エリアのA5、A9、B3の近くに1基ずつある。

 

その近くの、周回路脇に古墳群の説明板もあった。 

内野古墳群
所在地:千葉市若葉区多部田町1492番地他
内野古墳群は都川に面した舌状台地上にあり、前方後円墳1基と円墳5基が現存していますが、もとは消滅した円墳2基を加えた8基からなる古墳群であったと想定されています。これら古墳は近くにあった木戸作集落跡、うならすず集落跡の人々によって造営されたものと考えられています。
昭和50年度に実施した4号墳の発掘調査により、古墳時代後期の常総地方の特徴である組合式箱式石棺が発見されたことと、古墳群の東端にある前方後円墳の形式が前方部が張り出した形をしていることから、本古墳群は東国における群集墳の盛行期につくられた可能性が高く、6世紀末から7世紀の前半に、この古墳群が形成されたものと考えられています。
平成9年3月 千葉市教育委員会

 

古墳分布図の部分のアップ。

 

前方後円墳のある場所は公園の外で、コンクリの柵で隔てられていた。

 

まずは事務棟駐車場の向かい、A5に近い1基から。

林の中に土盛りが見えた。

 

高さは1mもない。

 

別の方向から。直径10mほどか(計測したものではありません。この後の数値も)

 

墳丘から北側。

 

南側にA5エリアの墓地がある。

 

園路を進んで、A9エリア・トイレの近くの1基。

 

さきほどのより直径は小さそうだが高さはありそう。

 

墳頂のようす。

 

墳頂から南側A8エリア方向。

 

こちらはB3エリアに近い1基。

 

3基の中では一番大きい印象。

 

高さ1.5mくらいか。

 

墳頂から南側、周回路の方向。

 

同じ場所から北側。

広く明るい公園で、犬の散歩やサイクリングの方々を結構見かけた。近所であれば通いたい場所。

 

公園を出て前方後円墳へ向かう。北側の門を出てすぐ右の「ひさのや石材店」右からの細道が正解だったがそこに気づかず、大回りして台地の下に出てしまった。

高低差20mほどの台地上に古墳は築かれている。

台地下の田の中央には都川があり、下流では猪鼻城跡・千葉県庁の横を通って東京湾に注いでいる。

 

迷いながら着いた場所。地図にあった鉄塔。

近づくには道はなく、ところどころに切り株が残る整地された土の上を歩かせて頂いた。

 

振り返るとさきほどの平和公園。

 

切られた木材が積まれていた。

 

近寄っていくと膨らみが草ではなく土盛りであることがわかった。

 

鉄塔の下に到着。

 

手前が前方部で奥が後円部。

 

笹を掻き分けて墳頂へ。

 

前方部から振り返って。

 

後円部の墳頂へ。

 

後円部の先は竹薮だが、急な斜面になっているようだった。

 

後円部から見た前方部方向。

 

こちらの前方後円墳(内野1号墳)の大きさは墳長32m、後円部径22.3m、同高2.3m、前方部幅13.7m、同高2.0mになる(昇寛さんのサイトより)

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/tibasi_utino1/

 

前方部の左裾から。左側(北側)の先へ行ってみると・・・

 

後円部の横で崖になっていた。墳丘は木や竹薮を刈れば台地下の都川からよく見えたことだろう。