前回のつづき。
松村記念館のすぐ先に、鑁阿寺(ばんなじ)の参道が南北に通る。
鑁阿寺は斜向かいの足利学校と合わせて、足利で最も著名な観光スポットでもある。
10年ほど前に訪ねたことがあった。
参道の店舗や民家も重厚な造りで興味深い。
こちらは写真館。
奥まったところも重厚な蔵。
ズームすると屋根大棟の瓦が大迫力。
漆喰の蔵と、裳腰(?)のついた民家。
鑁阿寺の山門前に着いた。
手前は橋の瓦屋根だった。鯉のえさやりで大賑わい。
山門のまっすぐ先に本堂がある。
鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が鎌倉初期の建久7年(1196年)、邸内に持仏堂を建てたのが始まりといわれ、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺とした。
本堂手前の左側には多宝塔。
平面が四角い1階と四角い屋根を円形でつなぐので、木組みは非常に複雑になる。
多宝塔は江戸初期の再建。以前は元禄5年、徳川綱吉の母、桂昌院が再建したと伝えられていたが、相輪の宝珠に寛永6年(1629)銘が見つかっている。説明板には「徳川氏は新田氏の後裔と称し、新田氏は足利の庄より新田の庄に分家したるが故に徳川氏は祖先発祥の地なるを以て、此の宝塔を祖先の菩提供養のため再建寄進した」とあった。
西側から順光で。
本堂(大御堂)は正安元年(1299)の再建。
明治41年に国宝指定され、戦後の法令改正で重文となったが平成25年国宝に返り咲いた。
屋根の反りが少しきつくみえるのは、唐様と和様を折衷した様式であるからか?
本堂で参拝し振り返ったところ。
その右へ視線を移すと大イチョウ。
樹齢550年と言われる天然記念物。
江戸時代には樹下で青年男女の見合いが行われ、縁結びの御神木ともいわているそう。
黄色の絨毯も、見て楽しむことができた(2017/11/26)
応永14年(1407)建立の経堂(重文)
足利満兼が再建したもので堂内には一切経を二千余巻納めた八角の輪蔵がある。この日は足利市文化財一斉公開の一環で、この経堂内部の大きな輪蔵を拝観できた。
かつて増上寺で拝観した輪蔵と同様の迫力があった。
公式サイトにも詳しい解説がある。