墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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紅葉の足利公園古墳群と田崎草雲旧宅(草雲美術館) 栃木県足利市緑町

前回のつづき。

水道山記念館の門の前の道から東側の眺め。

 

正面の丘をズームすると機神山山頂古墳の墳頂が見えた(中央の建物屋根の右)

 

水道山記念館の向かいは足利公園で、夏に訪ねた足利古墳群も再訪した。

前回の様子。

 

2号墳へのアプローチ。

 

燃えるような紅葉があった。

 

墳丘と青空と。

 

1号墳のあたり。

 

1号墳の開口部横から。

 

紅葉の天井。

今年は紅葉も桜も墳丘で堪能できた、いい年になりました。 

 

2号墳の南裾からパノラマで。

 

3号墳を西側から。

 

南側へ下る道。 

 

下った先の「田崎草雲旧宅」も、文化財公開案件としてパンフにあったので訪ねてみた。

 

場所はここ。

 

門の脇の説明板。

田崎草雲旧宅(庭園を含む)
田崎草雲(文化12年~明治31年)は江戸時代末から明治時代にかけての画家で、明治維新に際しては、民兵誠心隊を組織し、足利の治安維持にあたった。また、足利学校の古文書の分散を防ぐなど足利の文化財を守るためにも尽力し、明治23年には帝室技芸員にえらばれすぐれた作品を数多く残した。
この史跡は、田崎草雲が明治6年に廃寺であった蓮台寺跡を買い求め、同11年64歳の時に2階建の家屋を建て、白石山房と名づけた。2階を画室に使用していたが、晩年になってから昇降の不自由を感じたため東側に平屋の画室を建てその後、茶室が増築された。84歳で没するまでの作品の大部分はこの画室で描かれている。
現在、この史跡内には、田崎草雲の遺作、遺品を収集、保存し、一般に公開するため草雲美術館が建てられている(昭和44年3月 市重要文化財)
昭和61年7月 財団法人足利市民文化財団 足利市教育委員会

 

門の内側は・・・ 

 

 芝生広場の周りに紅葉。

 

紅葉の後ろに旧宅があった。

 

旧宅横の説明板。

足利市重要文化財 田崎草雲旧宅(庭園を含む)
(白石山房)
この史跡は田崎草雲が明治6年に蓮台寺跡を買い求め、明治11年64歳のとき家屋の完成をみました。居室を硯田農舎といい、2階を画室に使用していましたが、晩年になってから階段の昇降の不自由を感じたので、東側に平屋建の画室をつくり、ここを蓮台画室と称しました。
明治31年、84歳で没するまでの作品の大部分がここで描かれました。
なお、白石山房の白石とは草雲出自の時、母が白い碁石を飲む夢を見てその吉兆に因むものといわれています。面積4,136㎡
昭和44年3月31日指定 足利市教育委員会

 

旧宅の脇から。

 

2階の屋根は茅葺き。 

 

1階の室内を外から。

 

座布団に腰掛けて庭を眺めることができるようになっていた。

 

その風景。

 

裏手の斜面を登って振り返った旧宅。

 

斜面の向こうは崖になっていた。 

 

庭を巡ってから記念館へ。なんとこの日に限り無料だった。通常は一般210円。

公式サイトはこちら。

http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/soun/soun-gaiyou.html

このときは企画展「人物と冬と」展が開催されていた。

http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/uploaded/attachment/44006.pdf

 

次の目的地を美術館の西側にある今福浄水場としたので、美術館の北側の細道を回りこんだ(地元の方に近道を教えていただいた)

左の階段を下りて振り返ったところ。

 

この橋を渡れなかったら非常な遠回りとなるところだった(グーグルマップには道が載っていない)

ここもチャートが露出していて「例の質問」が出そうなところ。

 

両毛線の踏切を渡った。