墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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蛭田富士山古墳 栃木県大田原市蛭田

10月上旬、以前から訪ねたかった那須(といっても大田原市の南部と那珂川町の西部)の古墳を巡った。

那珂川とその支流の箒川に沿って古墳群が残るエリア。「関東古墳ベストガイド」に紹介されている中で最後に残っていた上侍塚古墳・下侍塚古墳がある。

 

東北道の矢板ICで降りて最初に向かったのは蛭田富士山古墳。

 

最後の方は農道のような狭い道を入っていくと、農家のそばの畑に囲まれた傾斜地に墳丘があった。

 

次第に読めなくなりつつある説明板。

全長40mの帆立貝式前方後円墳で、築造年代は5世紀末~6世紀前半と考えられるそうだ。

蛭田富士山古墳(ひるたふじやまこふん) 湯津上村指定史跡
所在地:湯津上村大字蛭田
墳形:前方後円墳
規模:全長40m、後円部径27m、後円部高さ3.5m、前方部幅10.5m、前方部高さ1.3m
この古墳は、前方部の規模が後円部の規模に比べて極端に小さい「帆立貝式前方後円墳」という形をしています。
かつてこの古墳の周辺には、小古墳が多数あって、古墳群を形成していましたが、開田などによってほとんど消滅してしまいました。昭和44年、この周辺の土地改良事業が進行する中、石を箱形に組み合わせた箱式石棺や横穴式石室が発見されたことから、昭和45年、栃木県教育委員会により発掘調査が実施されました。
調査の結果、円墳跡4基のほか、周溝等のない単独の埋葬施設(箱式石棺、小型竪穴式石室、土壙)や横穴式石室、竪穴式住居跡が確認されました。特に円墳跡は、箱式石棺を主とする複数の埋葬施設をもった珍しい古墳であることがわかりました。
蛭田富士山古墳は、墳丘の形態等から5世紀末から6世紀前半代に、発掘調査により確認された円墳跡などは、5世紀代から7世紀初頭にかけて築造されたものとみられています。
大田原市

 

前方部右裾あたりから後円部。小さな野草が沢山咲き誇っていた。

 

くびれ部の上に立つ鳥居を最初に見たときはドキッとした。

 

横から見た後円部。

 

斜面は結構草深い。

 

後円部の先の風景。

 

墳裾に沿って周囲を巡る。

 

前方部の裾で草丈が低いところがあったので、墳丘に上がらせていただいた。

 

前方部から後円部。

 

くびれ部の鳥居には独特の形をした注連縄。あとで大田原市歴史民俗資料館の方に伺うと、このあたりではこのようにぶらさげるタイプが3種類になるそうだ。

 

後円部上には小さな祠があった。

 

後円部上からのパノラマ。北西方向。

 

北方向。

 

農道から遠望した墳丘。

 

ズームで。

 

ということで、しばらく古墳シリーズが続きます!