前回のつづき。
藤本観音山古墳から県道38号を北上し朝倉3丁目の丘陵地にある足利市の史跡・明神山古墳群を目指した。
県道40号線沿いの丘陵は擁壁で囲まれていたが、その上に明神山古墳の説明板があった。
が、草が繁って読むのは難しかった。登り口もないので近づけない。
丘陵は島状に独立していて周囲を一回りすると東側麓に四所神社があった。
鳥居の左側に古墳群の説明板があった。かつては円墳が33基あり、前方後円墳も1基あるとのこと。
史跡 明神山古墳群
明神山古墳群は、古墳時代後期の多数の円墳と小前方後円墳からなる群集墳で、明神山の尾根から南の斜面及びそれに続く平地部に分布の中心を持っている。また少数が北西部の山裾の部分に存している。
現在では山裾から平地部にかけての古墳は大部分が湮滅したが、かつては前方後円墳1基、円墳33基以上を数えた。
古墳群中、前方後円墳1基、1,2,3,8,9,10号墳などについて発掘調査が行われ、埴輪、河原石の葺石、チャート割石による横穴式石室などの施設をもち、副葬品には、直刀、刀子、鉄鏃などの武器、耳環、玉類などの装飾品、須恵器などの器類があったことがわかっている。
北西に県指定八幡山古墳群、北東に弥生時代からなら・平安時代にかけての下八幡遺跡をひかえた本古墳群は、足利市内に存する古墳群中でも貴重なものである。(昭和57年6月23日 足利市指定)
平成3年12月15日 財団法人足利市民文化財団 足利市教育委員会
社殿への石段を上る。
拝殿にお参りして周囲に道を探す。
こちらの本殿も足利市のの重要文化財だった。江戸後期の弘化4年(1847)の築。二間社流造で杮葺の屋根を持ち、各種の彫刻が丁寧に施されている。
拝殿横から振り返ったところ。
本殿の裏は岩山のようになっていて祠もあった。
その先の南向き斜面にいくつか墳丘が残っているようだったが、先は藪が深く、いきなり大きなクモの巣に引っかかり気力を喪失して退却した。
足利市役所の文化課でいただいた「足利市の文化財めぐりマップ」を後で見ていたら、1号墳の石室の写真が載っていた。
下記の、ヤマポン総研さんの「古墳Moodys」にも南斜面の住宅地の間にあるという石室の写真が掲載されていた。冬季の草のない時期なら見学できそう。
http://kofunmoodys.fc2web.com/asikaga_3_yamabe.html#myoujin_yama
この後に訪れた足利市役所郷土資料展示室にて。
その明神山1号墳出土の鉄鉾やガラス玉など副葬品が展示されていた。
明神山10号墳出土の耳環や勾玉も。
明神山8号墳では須恵器の大甕も出土。
8号墳の周りからはこのような大甕が2個出土していて、人の遺体を入れた棺あるいは霊が宿るための場所などと考えられている、と解説にあった。
つづく。