前回の続き。
松本民芸館で教えていただいたとおり、美ヶ原温泉エリアに入って、タクシーの先を右へ。
左の道が怪しかったがすぐ先で行き止まり。
近くにいらした旅館の従業員らしき方に聞いたが、こちらに来たばかりでわからないとのこと。
その先に進んでいくと薬師堂があった。
参拝して裏手を見たが急斜面で古墳がありそうな雰囲気はない。
薬師堂の説明板はあった。
御母家(おぼけ)の薬師堂
この薬師堂は、御母家の姫薬師と呼ばれています。毎年、9月第4土曜日に行われる道祖神まつりでは、男性のシンボルを模した御神輿に仕立てられて乗る木彫りの御神体を、この姫薬師に輿入れするという奇祭が行われます。
御母家の地に残された歌の一部
くずのはな ふみしだかれて いろあたらし
このやま道を ゆきし人あり 折口信夫
この宿の 繁松山に きてこもる
雲きりの動き ひと日見あかね 太田水穂
そばには金網に守られた道祖神とその由来。
道祖神由来
ここに祀られるご神体はかつて国有林内に樹齢数百年風雪に耐えて来た赤松の銘木で通称「抱き合いの松」として称賛されていましたが、雪害の為枯死するに至りその一部を保存安置したものです。
子孫の繁栄を護り縁結び、子宝に恵まれない人々を救う神として、崇拝されています。
毎年9月第4土曜日の薬師祭典の宵宮に合せ道祖神祭が盛大に行われ奇祭として多くの観客を集め有名です。
(註)奇祭
松本十二薬師九番札所湯の原薬師通夜殿に安置されている長さ1.6米重量九十瓩の巨大な木製男根を若衆が担ぎ練り廻し姫薬師に到着しばしの逢瀬を楽しまれる微笑ましい祭です。
裏手には飲泉できる場所があったので、一杯いただいた。
引き返そうかと思っていたときに、近くの家から出て来られた地元の女性二方に伺うがわからないとのこと。
その一人が家に居るお父さんならわかるかも、とおっしゃって戻っていくと、ステテコ姿のお父さんが現れて、坂を下って右に上がった先の墓地にあると話してくださった。
御礼を言って、来た道を引き返す。
前の建物が、この地に温泉を掘り当てて昭和3年に創業した金宇館(かなうかん)で、木造3階建ての本館は昭和3年築、別館も昭和7年築なのだそう。公式サイトにある部屋の写真が魅力的で、いつか泊まってみたい。9月第4土曜にでも。
http://kanaukan.com/rooms/index.html
公式サイトには古くからある地名「おぼけ」の由来として「湯がフツフツ湧く場所を意味するアイヌ語“オポッケ”説が紹介されていた。
さきほど怪しいと思った分岐の、さらに左に道があった。
金網に沿って少し登る。
金網の先は山。
すると、お父さんの言ったとおり墓地があった。
その先に標柱が!
人々の親切に感謝しながら標柱に手を合わせた。
西暦2001年 信濃史料一巻上557P記 オボケ古墳と刻まれていた(他の面には記載なし)
隣の墓石の大きさに圧倒された。
墳丘近くからの眺め。
位置はグーグルマップに掲載申請しました。
分岐にあった双体道祖神。
心に残る墳行となった。