2017年の山開きの日は、富士塚登拝の「はしご」をした。
江古田の富士塚の次に向かったのは、有楽町線の千川駅(または要町駅)から徒歩10分ほどに立地する、豊島長崎の富士塚。
文久2年(1862)築造の、こちらも国指定重要有形民俗文化財。
住宅街の通りから境内に入ると、公園も賑っていた。
山頂は子供たちで大賑わい。
豊島区による解説板は英語併記仕様。
国指定重要有形民俗文化財 豊島長崎の富士塚
富士塚は、富士山を神の宿る場所として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれた。富士講は、角行(かくぎょう)を開祖とし、江戸時代中期に身禄(みろく)によって広められ、最盛期には江戸八百八講と称されるほどの講が結成されて、代表的な庶民信仰のひとつとなった。
豊島長崎の富士塚は、富士講の一つである豊島郡長崎村の月三椎名町元講の人々によって築造された。塚内には文久2年(1862)の銘記がある碑などが10基あり、これらが最も古く、「当山再建」と刻まれた碑も含まれていることから、この年に築造されたと考えられる。
塚は、高さ約8m、直径約21mで、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれている。塚内には、頂上に大日如来座像、山腹に小御岳石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約50の石造物群で構成されている。また、塚の東にある浅間神社では、かつてお炊き上げが行われており、奉納された数多くの講碑から長崎村の人々の富士信仰の強さと近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができる。
都区内にある江戸時代築造の富士塚の中では、原形を最もよく保ち庶民信仰の様相を示すものとして重要であるという評価から、昭和54年5月21日に重要民俗文化財に指定された。平成28年豊島区教育委員会
まずは右手の鳥居をくぐって拝殿に参拝した。
南面につづら折りの登山道がある。
鳥居をくぐっていざ登拝。
高山帯のハイマツのような木も配されていた。
山頂の祠。
別の仏像も。
山頂からの眺め。江古田の富士塚と同じ高さ8mだが、周囲が開けていて気持ちがよかった。
登り来る方々。
登山口となる拝殿方向。
北側は結構切れ落ちた急斜面だった。
麓には大きな板碑がいくつも並んでいた。
平成大修復・富士山世界文化遺産登録記念のものもあった。
7月1日は午後1時から3時。7月2日は10時~3時だった。雨天は中止になる模様。
参拝後、周囲の住宅街を歩いていると階段路に遭遇。
懐かしい雰囲気の看板。
恒久的車止め。
魅力的細道もあった。