墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧白州邸 武相荘(ぶあいそう) 東京都町田市能ヶ谷

前回のつづき。

この日の最後に訪ねたところは、白州次郎・正子夫妻が昭和17年から暮した武相荘(ぶあいそう)

公共交通機関では、小田急線鶴川駅から鶴川街道を北に徒歩15分。

https://buaiso.com/access_guide/access.html

緑の豊かな敷地。

 

入口門前から振り返ったところ。 敷地の周囲は開発が進んで住宅地となっている。

 

入口脇に町田市指定史跡としての説明板があった。

町田市指定史跡
白州次郎・正子旧宅
所在地:町田市能ヶ谷町1283番外
指定年月日:2002年11月14日
戦後の新憲法制定に深く関わり、東北電力会長としても活躍された白州次郎と、美術評論家・随筆家として読売文学賞2回受賞、町田市名誉市民第一号の白州正子のご夫妻が、能ヶ谷のこの地に農家を買い取り移住されたのは昭和17年(1942)であった。
寄棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺屋根の主屋と、カキ、シラカシなどを配した広い庭のたたずまいは、多摩地域の養蚕農家の面影をいまに伝える貴重な文化遺産である。整形四間取の間取や材料・構造から見て19世紀以降のもので、明治初期の建築と推定できる。養蚕農家として明治・大正・昭和と使われてきた「家・屋敷」が原型に近いからたちで今日に残されたのは、古い民家などに限りない価値を見出した、白州ご夫妻の独特なライフ・スタイルの賜であろう。
冠せられた「武相荘(ぶあいそう)」という愛称も、古い農家に具わる"静謐な美”に寄せるご夫妻の、慎み深い敬称と読みとれる。
設置年月:2003年8月 町田市教育委員会 

 

白州次郎の生涯は豊富な写真とともに邸のサイトに載っている。

 https://buaiso.com/about_buaiso/jiro.html

 

白州正子の生涯も。

https://buaiso.com/about_buaiso/masako.html

 

駐車場にあった敷地のマップ。 

 

駐車場から入口受付へのアプローチ。

 

畑の横を過ぎて石段を上がるとカフェの横に出た。ミュージアムチケット売り場はこの背後。一般1050円。

 

カフェの屋根の下には、愛車・1916年型 ペイジ Six-38(フリートウッド製5座席ツーリングカー)が置かれていた。

 

運転席にはナンバープレートが置かれていたので「動態保存」なのだろう。エンジン音を聴きたくなった。

 

その先にはレストラン&カフェ「武相荘」

大変賑っていた。

 

その奥に母屋であった「ミュージアム」がある。

 

昭和17年(1942)白州次郎40歳・正子32歳の時、日本の敗戦と食糧危機を見越して、この茅葺きの農家を田圃や畑とともに購入。

武蔵国と相模国の境にあることから、無愛想をもじって「武相荘」と名づけられたとのこと。

 

手入れの行き届いた茅葺きの軒。

 

玄関でチケットを見せて見学する。

靴を脱いでタイル張りの居間に上がり、壁一面に本がある和室の書斎などをぐるりと一回りする。

家具や暮らしの器、着物や生地などが当時の生活を偲ばせるような様子で展示されているが、ひとつひとつが念入りに選ばれていることが伝わって来て、選んだ人の存在を近くに感じた。

 

母屋の前から散策路があった。

 

太い竹が密生する。 

 

「鈴鹿峠」の石碑が立つ。

 

「峠道」を上って振り返ったところ。

 

そこから木の葉越しに見る母屋。

 

散策路は濃い緑に覆われていた。

 

竹の葉の緑が目にしみた。

 

月曜休館、ミュージアムは17時、レストランは20時半まで。

ミュージアムへの入館は中学生以上限定。内部は撮影不可。