6月3日から開催中の「発掘された日本列島2017」へ行ってみた。
例年通り、江戸東京博物館の常設展の一画にコーナーが設けられている。
今年も全国各地からの、さまざまな時代の遺跡・遺物が展示されていた。
特集展示のひとつは水中遺跡。 日本の遺跡の数は46万8千ヶ所になるが水中遺跡はそのうちの387箇所、それしかわかっていないのだそう。
会場中央に幕末の軍艦・開陽丸からの引き揚げ物が展示されていた。
手前は砲弾(右)や榴弾(左:内部に炸薬を入れて到達点で炸裂させる砲弾)
榎本武揚が率いたオランダ製の木造軍艦は、荒天により北海道の江差沖で座礁沈没した。
江差町の開陽丸資料館のサイト・開陽丸とは、にて歴史の詳細を知ることができる。
開陽丸 - Wikipediaには「引き揚げ」に関する独立項目もある。
展示室外では記念館として江差町の海際に復元された開陽丸の映像も流れていた。
サーベルや日本刀もあった。
港湾拡張工事に伴う防波堤建設で存在が確認されて昭和50年から発掘調査され、3万点を超える遺物が出土している。建設工事終了後も船体の半分は海底に残っているのだそう。
真鍮製の双眼鏡など。榎本武揚も使ったものかも?
武器だけでなく、食器類も展示されていた。
こちらは瀬戸内海の「海揚がり遺物」のコーナー。香川県と岡山県の間の海底では漁業の網で弥生期から室町期までのさまざまな遺物が引き揚げられている。
この弥生土器は、宮崎・日向南部で作られたことがわかるそうだ。
はるか昔から、船をつかった遠距離交易があったことを物語る。
元寇の遺物、長崎県松浦市の鷹島神崎遺跡(史跡)の展示もあった。
鷹島神崎は蒙古襲来の弘安合戦(1281年)で元軍が暴風雨により壊滅的な打撃を受けた場所で、平成24年に日本最初の水中遺跡として南北200m・東西1.5kmの範囲が史跡指定された。
元軍の規模は4400隻、14万人。
現在2隻の沈没船の姿が確認され、元軍の「てつはう」や鉄製冑、刀剣などの武器類、中国産の陶磁器を中心とする日用品類が出土している。
引き揚げられた「てつはう」 直径15cm、重さは3kg
蒙古襲来絵詞 - Wikipediaにも戦闘の様子は描かれているが、この「てつはう」をCTスキャンしたら内部に鉄片や陶器片があって殺傷能力が高められていたことが判明したそうだ。
恐ろしい兵器を前に戦った鎌倉武士は勇敢だった。
自分にとってのお目当ての古墳時代コーナーも充実していた。
古墳時代のコーナーの解説
■概要:人々の階層分化がさらに進展し、近畿を中心に広範囲に及ぶ政権が成立した時代です。各地で権力者のために古墳が作られ、銅鏡や武器、装飾品など多くの副葬品が納められました。古墳の上にはさまざまな埴輪が立て並べられました。日本が初期的な国家の形成に向かう段階と考えられています。東北北部や北海道と南島には古墳文化は広がらず、それまでの文化を発展させていました。
■今回展示する遺跡:宮城県の入の沢遺跡は古墳文化の北に広がる続縄文文化との接点に作られた集落で、建物から銅鏡や鉄器などが出土しました。島根県の史跡石屋古墳は最古級の人物埴輪が並べられていた古墳であることがわかりました。千葉県の根戸船戸遺跡1号墳からは頭椎大刀(かぶつちのたち)という金メッキで飾られた大刀が出土しました。
島根県松江市の史跡・石屋(いしや)古墳の展示。 古墳時代中期(約1600年前)の遺跡。
石屋古墳は松江市の丘陵尾根に立地する一辺40mの方墳で、墳丘は葺石に覆われた二段築成。南辺と北辺に造出(つくりだし)と呼ばれる突出部が取り付き、北辺の造出から形象埴輪郡が出土している。
近年の形象埴輪の再調査により、武人や正装男子(貴人)のほか、新たに倚座人物形埴輪(椅子に座った人物)の椅子部分や力士形埴輪の存在が明らかになり、人物埴輪の配置方法も明らかになった。二本足での立ち姿を表現する人物埴輪は5世紀中頃に出現するが、その初期の実態が判明したことは、人物埴輪が表現する葬送儀礼を解明する上で非常に重要だそう。
力士の下半身。まわしが一部残っている。
横から。意外に薄く作られている印象。
お尻のカーブはオリジナル。
倚座人物形埴輪が座っていた「椅子」
耳の形が立派な馬形埴輪もあった。
おもちのロディを彷彿とさせるサイズ。
墳丘の写真はこちらにも。
千葉県我孫子市の根戸船戸(ねどふなと)遺跡1号墳のコーナーもあった。
古墳時代終末期(約1400年前)の遺跡。
頭椎大刀(かぶつちたち)の出土品(右)と復元品(左)
金メッキで飾られた頭椎大刀は大和政権から下賜されたとみられるそうだ。
握りやすそうだが、ここを持っていては戦えない。
大刀や鉄鏃、耳環や玉類も。
根戸船戸遺跡1号墳は手賀沼を望む台地上縁にある全長35m・高さ2mの、”ダルマ形”古墳。
白色の粘土を切り出し、さも石を使ったかのように積み上げた横穴式”石”室をもつとのこと。
4年前に2号墳を訪ねた。1号墳は未探訪だが個人の敷地になるそうで見学は難しいか・・・
我孫子市の公式サイト・速報!頭椎大刀出土についてに詳細情報があった。
1号墳は平成26年(2014)に発掘されているが、6基の古墳群中の最後の調査だった。
昭和20年代からすでに6基の古墳が点在していることが分かっており、今から36年前の昭和53年に大規模な発掘調査を行いました。その結果、5基の古墳、古墳に壊された古墳時代の竪穴建物などが発掘調査されました。
古墳はいずれも横穴式石室をもつ古墳時代終末期(6世紀終わりから7世紀中ごろ)のものでした。古墳は古墳の盛り土(墳丘)と周囲の濠の形状から、「ダルマ型」と呼ばれる特殊な形をしていました。ただし、1基の古墳(1号墳)が個人の所有地のため、そのまま保存され、発掘調査は今後の課題となっていました。その最後の1基が今回の発掘対象でした。
特集展示のもうひとつは「復興のための文化力~東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護」
3つの遺跡が紹介されていたが、下は岩手県宮古市にある縄文中期(約4500年前)の高根(こうね)遺跡
なんと尾根上に直径2mの貯蔵穴が500基以上見つかっているそうだ。
出土物のひとつ、キノコ形土製品。
何のために作られたかはわかっていないそうだが形は本物そっくり。高村光太郎作といっても通ってしまいそうな、4500年前のリアリズム。
熊本地震による被害報告もあり、古墳も深刻な事態にあることを知った。
江戸東京博物館は入場料一般600円(常設展)ぐるっとパスで”入場”できる。
東京展は7月23日までで、その後下記を巡回する。
8/5~9/18:八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館、9/30~11/5:三重県総合博物、11/18~12/24:安城市歴史博物館、2018/1/13~2/25:壱岐市立一支国博物館
過去4回の展示の様子。
「発掘された日本列島2014 日本発掘」③ 今城塚古墳埴輪 @両国 江戸東京博物館 - 墳丘からの眺め
帰途、両国駅3番線ホームの「試運転」編成を見た。