墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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沼袋氷川神社~禅定院~百観音明治寺~新井薬師~新井天神北野神社 東京都中野区沼袋・新井

前回のつづき。

中野区歴史民俗資料館や哲学堂公園を訪ねた折、道すがらにあった寺社に参拝した。

 

・沼袋氷川神社 

西武新宿線の車窓からよく見える鳥居。

 

台地の縁に鎮座する。御祭神は須佐之男命で南北朝時代に大宮氷川神社から分祀されたそう。ご祭神・ご由緒 | 安産祈願、厄除開運、初宮詣、東京都中野沼袋氷川神社 公式webサイト

この時は拝殿で結婚式が行われていた。

 

参拝して振り返ったところ。この右手に昭和17年に枯れた、太田道灌が植えたという杉の跡があった。

 

台地の縁は神社境内の東側にも続いていて、東京都遺跡地図を参照すると「氷川神社付近古墳」の印があり鉄刀が出土と記載されているが、一回りしても住宅が建てこんでいて、跡はわからなかった。

東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス:東京都教育委員会

 

沼袋駅北口から北東に延びる商店街を進むと、こちらも南北朝期創建の真言宗豊山派・禅定寺に突き当たった。

沿革について | 禅定院

 

樹齢600年といわれるイチョウの木。上部の枝葉が丸く密に生い茂っていた。黄葉の姿も見てみたい。

 

ちょうど牡丹が花盛りだった。

 

池の周りに大輪の花。

 

禅定院の山門を出て北西側に上って行くと、百観音明治寺があった。

 

山門を入ると頑強な滑り台がある児童公園があった。

 

 明治寺 - Wikipediaによれば、明治45年に榮照法尼が開基。大正6年には本堂が完成し、昭和11年には明治寺の号となった。

百観音とは西国三十三所と坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の札所の合わせて百箇所の札所の仏像の写しが祀られている。参拝者は柵で囲われた庭園に入って現在は180体ほどあるという観音像を拝んで回ることができる(庭園内は撮影禁止)

 

眼病平癒で名高いとの新井薬師(正式には新井山梅照院)

西武新宿線に新井薬師前駅から徒歩6分の距離だが、このときは哲学堂公園の南西端から、中野通りをちょうど来たバスに乗って3つ目の北野神社前で下車した。

こちらは不動堂。

 

山門と門前の通り。

公式サイト・梅照院の紹介に下記の縁起が記されている。

寺伝によると、鎌倉末期、相模国(神奈川県)から行春(ぎょうしゅん)という沙門(僧)が新井の里を訪れます。清水の湧き出るこの地こそ、真言密教の修行道場にふさわしいと感じて草庵を結びました。
この草庵は、徳川初期頃になると廃寺同然の荒れ果て様でありましたが、庭に植わる梅の古木が夜毎に光るという現象が起こり、天正14年3月21日、梅の木を調べると薬師如来が現れました。
中野郷新井の郷士であり、元新田義興の臣 窪寺某が太田金山城に祀られていた尊像であることを確認し、薬師堂を建立したのが梅照院のはじまりです。

 

こちらが薬師堂。ご本尊の薬師如来は裏に如意輪観音が現された二仏一体の秘仏で、寅年に御開帳になるそう。

境内には地名の由来となる井戸もあったが撮りそびれてしまった(水は眼病に効能があるとのこと)

 

境内に隣接した北側に新井薬師公園がある。広場に樹木の蔭があって気持ちが良かった。円墳と見まがうようなマウントもあった。

 

新井薬師と中野通りを隔てて、新井天神北野神社が鎮座する。

 

参道には濃い緑に覆われていた。

 【公式】新井天神 北野神社によれば、創建は天正年間(1573~1592)に新井薬師の開祖である沙門行春が建立したとも、それ以前よりこの地の鎮守社であったとも言われているとのこと。

こちらの境内にも井戸があったようだ。地下水が豊かだから緑も濃かったか・・・