墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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中野区立 哲学堂公園・前編 東京都中野区松が丘

4つ前のエントリのつづき。

中野区立歴史民俗博物館を見たあと、ちょうど来たバスに乗り3つ先の停留所で降りて哲学堂公園を訪ねた。

野球場の横の歩道を進むと入口があった。

 

入口の案内板。北は左下。

舌状台地の先端の高低差がある敷地で、運動場や古建築の広場は台地上にあり、妙正寺川が斜面下を流れる。

開園時間は8時~18時(秋・冬期は短縮)

 

園内には、孔子・釈迦・ソクラテス・カントを祀る「四聖堂」や、聖徳太子・菅原道真・荘子・朱子・龍樹・迦毘羅仙を祀る「六賢台」等の古建築物があるが、春と秋、及び毎月第1日曜に公開される。哲学堂 | 中野区都市観光サイト まるっと中野

 

門前の説明板。

東京都指定名勝 哲学堂公園
所在地:新宿区西落合2-664-1 中野区松が丘1-1-5ほか
指定:平成21年3月16日
哲学堂公園は、哲学館大学(現東洋大学)創始者である井上円了が、文部省より大学公称の許可を得たのを記念し四聖堂を建立(明治37年)したことに始まります。その後、自らの退隠所及び一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備しました。
台地部分の広い範囲は「時空岡」と称する中心広場とし、四聖堂などの主要施設を設けています。南側低地部に「唯物園」と「唯心庭」を配し、道筋には「経験坂」や「二元衢(にげんく)」などの思考状況を示す場所を設定しています。舌状台地先端の立地と崖、川や泉の自然地形を利用し、哲学的空間・概念を巧に配した特異な公園です。
四聖堂や六賢台、宇宙館などの建物は井上円了の哲学的思想と奇抜な意匠により、哲学堂公園の代表的な建造物となっています。
井上円了の死後は財団による管理を経て、昭和19年(1944)に東京都へ寄付されました。昭和21年(1946)に「哲学堂公園」として開園、その後中野区に移管され、現在の「中野区立哲学堂公園」となりました。
平成24年3月 東京都教育委員会

 

春の公開期間は4月29日~5月5日。

 

最初に哲理門(明治42年築)を入る。

右の門柱に物質世界の不思議を表す天狗像、左に精神世界の不思議を表す幽霊像の木彫が置かれているとのこと。

 

門をくぐって中心広場の時空岡(じくうこう)へ。。

 

一番目立つのは六賢台。明治42年築、設計者は山尾新三郎。

東洋の賢人として、聖徳太子、菅原道真、荘子、朱子、龍樹、迦毘羅の6人を祀る。

 

すぐ南は台地端の崖。かつては遠くから目立つランドマークであっただろう。

 

靴を脱いで中を登る。

 

古そうな陳列ケースに仏像写真などの展示物。

 

光溢れる最上階へ。

 

窓は締め切られていた。

 

最上階にあった説明板。

 

登ってきた階段。

 

天井部分。

 

六賢台を見学後は、時空岡を囲む建物を時計と逆周りで巡った。

 

四聖堂は建物群中最も古い明治37年築。設計は山尾新三郎。

哲学堂の中心的な建物で、四面のいずれも正面とされ、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを祀る。

 

内部の天井。

 

 畳に涅槃釈迦像が安置されている。

 

説明板。

 

絶対城は大正4年築。かつての図書館で設計者はこちらも山尾新三郎。

 

入口からズームで。

 

 絶対城は建物保全のために中に入れないので、詳しい写真解説があった。

 

説明板もある。

 

絶対城を側面から。

 

こちらは角から入る「宇宙館」はかつての講義室。

大正2年の築。設計者はやはり山尾新三郎。

 

座敷に大きな聖徳太子像。

 

説明板。

 

 こちらの建物は陳列所として使われていた「無尽蔵」(推定築年:明治42年~45年頃。設計者不明) 

 

今もは真パネルが展示されている。

 

説明板。

 

墳丘のような小山があった。

 

頂には三学亭。

 

神道、仏教、儒教の研究家を称える。

 

もう少し詳しい建物解説は公式サイト・哲学堂公園にある。

各建物の説明板の書き起こしは文字量の関係で省略・・・

つづく。