前回のつづき。
勝連城を見た後、そこから3kmほどにある与那城監視哨跡(よなしろ かんししょうあと)へ向かった。
こちらの方のブログで知った戦争遺跡。
川沿いに広い道に車を停めさせて頂いて、郵便局の右の道を進む。
井戸の名残り(イシガー)を右手に見つつ。
火事にあったような家を右手に見ながら。
すぐに案内板が。
防災路を進むと左手に説明板も。
与那城監視哨跡
与那城監視哨は、航空機を早期に発見し、敵味方を区別して防空機関に知らせるための施設で、屋慶名(やけな)のイシマシムイの丘上にあります。
正八角形のコンクリート製で、入口以外の7つの壁面にはひとつずつ窓枠があり、360度見渡せる構造になっています。外側の窓枠から下の部分は土に埋まっています。
当時、沖縄県内には11ヶ所の防空監視哨が設置されており(那覇、糸満、本部、金武、国領、嘉手納、宮古、八重山、西表、久米島)、本監視哨もその一つです。
本監視哨で任務に就いていた方の証言によると、監視哨が最初に出来たのは1938年(昭和13年)頃で、雨戸を6枚立てただけの簡単な作りであったようです。1943年(昭和18年)にコンクリート製に建て替えられたようです。
1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)では、敵機来襲を最初に発見したとして、当時の泉沖縄県知事から感謝状が贈られたそうです。
壁面には沖縄戦当時銃撃を受けたときの弾痕が、今でも残っており、戦争遺跡として貴重な文化財です。
設置:うるま市教育委員会
そこから先は土の道。
地面が見えていなかったら引き返そうと思ったが、見えていたのでおずおず進む。
細いロープにどきっとしながら。
すぐ上がったところに遺構はあった。
弾痕(?)が生々しく。
内部の床面。
裏へ回ると中に下りられた。
コンクリート柱が上の部分しか残っていない。
70年の歳月を経たもろさも。
屋根を支える周囲の柱も危うい感じ。
どんな気持ちで監視にあたっていたか。
外へ出ての眺め。奥は平安座島(へんざじま)
もときた道を引き返した。
屋慶名の住宅街には魅力的な細道もあった。