墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

荒幡の富士(富士塚) 埼玉県所沢市荒幡

前回のつづき。

ひばりが丘に墓参する前に、少し前から気になっていた富士塚へ寄ってみた。

寄るというには少し離れてはいるが。

 

国分寺駅経由、西武多摩湖線に乗車。終点は西武遊園地駅。

 

反対側を見ると西部山口線の乗り場につづいていた。

 

そこへタイヤで走るレオライナーが到着。

 

短い車体の4両編成。先頭はトンネルの中。

 

トンネルを抜けてすぐの、遊園地西駅で下車。次の駅が2.5km先の終点、西武球場前。この線には昭和47年から59年までは線路が敷かれ、蒸気機関車も走っていた。

起点の西武遊園地駅は東京都東村山市で、こちらから埼玉県所沢市になる。

 

ホームの脇をコースターがかすめる。

 

駅前の遊具。ここはまだ門の外。

 

西武園西口にはあまり人がいなかった。

 

山口線沿いを少し歩くと多摩湖の水面が見えた。 

 

スマホマップに従って進むと徐々に山の中。駅から徒歩20分ほどの距離と出ていた。

 

深山の雰囲気。 

 

坂を下ると住宅街があった。マップに従うと車の通れない道になった。

 

梅(?)の巨木が満開の民家の庭。

 

その後、ゴルフ場を右手に見ながら進むと「荒幡富士市民の森」の入口があった。

 

狭山丘陵ふれあいの里のセンターエリアにもなっている。

 

いい雰囲気の道があったが、こちらは逆方向。

 

進んでいくと塚が聳えていた。

 

登山口には鳥居。

 

鳥居脇に説明板があった。地元の方々が明治中期に15年もかかって築き上げたものだった。

荒幡の富士
旧荒幡村には昔から浅間神社のほか、三島・氷川・神明・松尾の各社がまつられていたが、明治5年の社格制定で浅間神社が村社に列せられ、三島神社以下は無格社となった。そこで村内の統一と民心の安定をはかるため、明治14年9月村内浅間久保にあった浅間神社を西ヶ谷松尾神社の地に移し、それと共に三島神社以下を浅間神社に合祀することになった。
そのため浅間神社の傍にあった荒幡村富士講信仰のシンボル富士塚も移転構築することとなった。そして以前の幾十倍も大きい富士塚が明治17年に起工し、同32年に竣工した。これは村内の氏子・信者はもとより、近隣の村々の有志も加わって営々として築きあげたものである。かくて荒幡富士は村民の心の大きな依り所となり、かつ近郷近在に誇る最大級の人工の富士となった。このことは登山道の入口にある大正10年建立の文人大町桂月選文になる荒幡新富士築山碑に明記されているところである。
平成7年3月 所沢市教育委員会

 

大正10年建立の大きな築山碑。

荒幡の富士 所沢市ホームページにも解説がある。

 

鳥居をくぐると猿田彦大神の祠。

 

つづら折りの登山道を上から。

 

頂上の祠。

 

南側の眺め。西武園ゴルフ場に突き出した半島のような場所に立地している。

キャディさんに「あの頂上を狙って」などと言われている人もいるのだろうか。

 

南西方向に「展望図」があった。一応富士山も書かれているが、曇り気味で木々も高くなってきているので見えない。

 

・・・だろうと思って一応目を凝らすと、うっすらと見えていた。

見つけたというより、こちらが見つかったとように感じた。

 

ズームで。思わぬ贈り物だった。

地図で測るとだいたい78kmの距離。 

 

手すりに「景観賞」のパネルが付いていた。 

 

こちらは北側の眺め。

 

誰もいない山頂でしばらく眺めを楽しんだ。

 

下山して浅間神社に参拝した。

 

 

御祭典のときは賑うのだろう。

 

浅間神社と荒幡富士。

 

東側には別の登山道もあった。祭りのときに使われるのだろう。

 

東側に境内入口があった。