前回のつづき。
西河原自然公園からバス通りを渡て住宅街へ。すぐに奥の方に木立が見える。
柵に囲まれた墳丘があった。
門があったが開いていた。
都史跡の石碑と説明板。
兜塚古墳は6世紀前半に造られた直径約43mの円墳で、同じ狛江古墳群にある亀塚古墳(5世紀後半~6世紀初頭)の次世代の盟主墳と考えられるとのことだった。
東京都指定史跡 兜塚古墳
所在地:狛江市中和泉3-749
指定:昭和50年2月6日
兜塚古墳は、昭和62年(1987)と平成7年(1995)に行われた確認調査により、墳丘の残存径約43m、周溝外端までの規模約70m、高さ約4mの円墳と考えられます。周溝の一部の状況から、円墳ではなく帆立貝形の古墳の可能性も指摘されています。墳丘の本格的な調査を実施していないため主体部などは良くわかっていませんが、土師器や円筒埴輪が出土しています。円筒埴輪の年代から6世紀前半の築造年代が考えられています。
兜塚を含む狛江古墳群は南武蔵で最大規模の古墳群と推定されていますが、墳丘の形状を留めているのは僅かで、本古墳は良好な状態で遺存している貴重な古墳といえます。狛江古墳群では二ヶ所の主体部が発掘調査され、神人歌舞画像鏡、鉄製刀身、玉類、金銅製馬具などが出土した亀塚古墳が有名です。亀塚古墳は5世紀後半から6世紀初頭ころの狛江古墳群の盟主墳と考えられますが、兜塚古墳は亀塚古墳の次世代の盟主墳と考えられています。
平成22年3月建設 東京都教育委員会
一応英語版も。円筒埴輪は、”cylindrical clay object”と訳されていた。
木々の中に眠る墳丘。
墳丘の前の広場。周溝の起伏が残っているようにも感じられた。
パノラマで。
雑草等が払われて整備されている墳丘を上がらせていただく。
墳頂には太い松があった。
北西方向の眺め。
北東方向の眺め。
南西方向。
南東方向をパノラマで。
下から見上げた松。見通しは効かないが気持ちの良い墳丘だった。
柵の外、西側から見た墳丘。
東側の柵の外から。
西日が墳丘斜面に射しこんでいた。