墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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市谷亀岡八幡宮 東京都新宿区市谷八幡町

前回紹介をした本にある”細道コース”へ新年のお参りを兼ねて訪ねた。

JR・東京メトロ市ケ谷駅(都営線は間がヶ)で下車。JRの駅(下の写真右奥)からはお濠の石垣を渡って外堀通り方向へ向かう。

 

外堀通りに面したビルの谷間に参道があった。

 

結構な高低差・斜度の石段。

 

摂社・茶ノ木稲荷が突端にある。

 

その左には車も上れる坂があった(境内で行き止まり)

 

石段の途中から茶ノ木稲荷への道がある。

 

摂社ではあるが大きな社殿。創建は古く弘法大師によるとされ、茶ノ木の謂れは、白狐が茶の木で目をついてから崇敬者は茶を忌んで正月の三ヶ日は茶を呑まない習俗があったからとのこと。眼病平癒の霊験あらたかであるそう。茶ノ木稲荷神社縁起 -市谷亀岡八幡宮

 

石段に戻り、青銅製の鳥居をくぐる。

 

八が鳩の形の扁額。

 

柱には寄進者の名前が数多く刻まれる。

 

鳥居は新宿区の指定有形文化財だった。

新宿区指定有形文化財 建造物

市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居
所在地 新宿区市谷八幡町15
指定年月日 昭和62年1月30日
文化元年(1804)12月建立の銅製明神型鳥居で、高さ4.6m、台石0.55m、柱には、初願者・当八幡宮別当第七世智光、造立者・東圓寺現在仁龍他七名、鋳物師・西村和泉藤原政平の建造銘と、寄進者442名の名前や職業が陰刻されている。
「八幡宮」の額は、播磨姫路十五万石の酒井家十一代投手雅楽頭忠道の書によるもので、八の字は八幡宮の神使の鳩一対によって形成されている。
区内に現存する唯一の銅製鳥居で、意匠や鋳造技術にも優れており貴重である。

(後略~太田道灌ゆかりの軍配団扇もあるそうです)
平成5年11月 東京都新宿区教育委員会

 

ぎりぎりに建物がある。

 

石段上からお濠の方向。 

 

お濠の向こうは中央・総武線。何度も通った路線だが、ここに神社があると認識したことはなかった。市ガ谷駅の少し新宿よりの、ビルの間を注視すればわかるか?

 

鳥居の位置から社殿まではさらに登る。

 

左手には茶ノ木稲荷の本殿。

 

石段を上がって振り返ったところ。

 

社殿の前には茅の輪があった。

犬を連れた方が多かった。茅の輪くぐりもペットを一緒で楽しそうだった。

「ペット 初詣」と検索すると一番上に表示された。市谷亀岡八幡宮

 

神社の縁起は公式サイト、市谷亀岡八幡宮縁起に詳細に書かれている。

市谷亀岡八幡宮 - Wikipediaによれば、文明11年(1479)に太田道灌が江戸城西の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を市谷御門の中に、「鶴岡」に対して「亀岡」として勧請したことに始まる。その後戦火で荒廃したが寛永13年(1636)頃、江戸城外堀が出来た際に現在地に移転、三代家光や桂昌院などの信仰を得て再興したという。

 

横から見た社殿。

 

力石が並ぶ一画があった。

 

力石も区の有形文化財。寛政6年(1794)のものもある。

 

境内南側。崖の向こうは茶ノ木稲荷。

 

”目的地”の細道への通路は社殿の右側にあった。

 

突き当たりを右に。

 

途中に「陸軍用地」の標石があった。

 

すぐ近くにもうひとつ。

 

その後ろ、柵の向こうは防衛省。

 

この細道の鑑賞ポイントはこの並木。

 

細道のまん中に三連。

 

その先の角を曲る。

 

と、階段があって舗装路に出る。

 

階段を下りて振り返ったところ。

 

階段横の石垣には「上寺町」などの刻印があった。

つづく。