墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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市尾宮塚古墳 奈良県高市郡高取町市尾

前回のつづき。

市尾にある宮塚古墳は、宮山古墳からは東に直線距離で3.6km地点だが、間にある丘陵を南に大きく迂回した。

ここは近鉄吉野線の市尾駅から徒歩5分と公共交通機関でも訪ねやすい場所だった。

 

目指す古墳は天満神社が鎮座する高みの上にある。

 

参道入口の巨木。

 

鳥居をくぐって石段を上がる。

 

石段は緩やかだがそこそこ上る。

 

石段の先にある拝殿。

 

この地域の神社では、拝殿と本殿とが分かれていて、平入り建物の格子越しに拝む形が多いように思えた。

 

拝殿から斜めに振り返るとゲートボール場か。

 

拝殿と遊具との間に木の茂る土盛りがあった。

 

この雰囲気はいかにも墳丘。

 

少し上がって振り返ったところ。

 

上がらせていただくと、その先は急な斜面となっていて下に説明板が見えた。

 

すぐ先が石室入口の真上だった。

 

一旦戻って、横から回り込んでいく。 

 

すると、石室への入口が出現した。

 

説明板は新しい。全長44mの前方後円墳だった。さきほど上ったのは前方部から後円部へのルートだった。

国指定史跡 市尾宮塚古墳
高取町市尾の独立した丘陵上にある市尾宮塚古墳は東向きの前方後円墳で、墳丘は全長44m、後円部の直径は23m、高さは7m、前方部は幅24m、高さ4.5mです。後円部には北側方向に開口する長さ11.6mの両袖の横穴式石室があり玄室は長さ6.2m、幅2.5m、高さ3m、羨道は長さ5.4mで石室内にY字形の石組みの排水溝を設け玄室に小石を敷いています。壁面は赤い顔料が塗られています。羨道に段をつくり、その上に閉塞石を積んでいます。石室内には凝灰岩製のくりぬきの家形石棺があります。石棺には鮮やかな赤い顔料が塗られ、身の外側の寸法は長さ1.9m、幅1.2m、蓋には縄かけ突起があります。石室内の調査では金銅装の大刀・馬具・鈴・耳環、金銀の歩揺、鉄製の小札・鉄鏃、水晶やガラス製の玉と土器などが多く出土しました。
宮塚古墳は6世紀中ごろにつくられたこの地域の有力豪族の墓と考えられたいへん貴重です。高取町教育委員会

 

QRコードによるガイドも用意されている。

ふるさとユビキタス | 日本の飛鳥(れきし)を観聞(みい)る旅

6世紀中ごろに造られた前方後円墳で、横穴式石室からは馬具や太刀の装飾品など多数の副葬品が発見されました。盗掘を受けているにもかかわらず、金銅製や銀製の装飾品が数多く見つかるのは珍しいことで、中でも金銅製の鈴は県内で2例目の出土です。 飛鳥から紀州の港を結んでいた古道沿いにあり、副葬品にも国際色が伺えることから、外交に従事していた豪族の首長の墓ではないかと考えられています。 入り口から石室がご覧いただけます。

 

石室に近づくと灯りがついた。さすが国指定史跡。

 

羨道部に木道のような道がついていたが、しっかり鍵がかかっていた。

 

柵越しにフラッシュで。

 

玄室をズームして。奥壁に赤い顔料が残っているのがわかる。

 

石棺の蓋の四隅に支えの石が置かれてチラリと内部が見えるようになっていた。 

 

玄室の側壁は内側に傾けられていた。

 

反対側の玄室側壁。石棺蓋の2つの突起の影が映っている。

 

玄室をフラッシュなしで。

 

再び墳丘に上がって南側の眺め。 

 

木々の間から家並みが見えた。

つづく。