墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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新宿区立 林芙美子記念館 東京都新宿区中井

前回のつづき。 

旧島津家アトリエの前の道を西に進むとすぐに”三の坂”の上に出る。

 

両脇に樹木が茂るいい雰囲気の階段。

 

階段を降りてすぐに林芙美子記念館の入口がある。

入館料は一般150円。新宿区立 林芙美子記念館

 

かつて使われていた門はさらに下ったところに。

 

記念館入口はかつての勝手口。敷地内のスロープを少し上って振り返ったところ。

建物や庭は背面右側、南向きの斜面に立地している。

 

スロープの途中に詳細な説明板があった。

この建物は「放浪記」「浮雲」などの代表作で知られる作家・林芙美子が昭和16年(1941)8月から昭和26年(1951)6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家です。
大賞1年(1922)に上京して以来、多くの苦労をしてきた芙美子は、昭和5年(1930)に落合の地に移り住み、昭和14(1939)12月にはこの土地を購入し、新居を建設し始めました。
新居建設当時、建坪の制限があったため、芙美子名義の生活棟と、画家であった夫、緑敏名義の仕事場の棟をそれぞれ建て、その後すぐにつなぎ合わせました。
芙美子は新居建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行くなど、その思い入れは格別でした。このため、山口文象設計によるこの家は、数奇屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっています。芙美子は客間よりも茶の間や風呂や厠や台所に十二分に金をかけるように考え、そのこだわりはこの家のあちこちに見ることができます。 

 

昭和16年(1941)築、設計は山口文象。

平面図部分のアップ。

下記の説明のとおり、”愛らしい美しい家を”という想いが詰まった住宅と庭があった。

家をつくるにあたって
私は十年前に現在の場所に家を建てた。
私の生涯で家を建てるなぞとは考えもみなかったのだけれども、八年程住み慣れていた借家を、どうしても引っ越さなければならなくなり、私はひまにまかせて、借家をみつけて歩いた。まづ、下町の谷中あたりに住みたいを思ひ、このあたりを物色してまはったが、思はしい、家もなく、考へてみると住みなれた、現在の下落合は去りがたい気がして、このあたりに敷地でもあれば小さな家を建てるのもいいなと考へ始めた。幸ひ、現在の場所を、古屋芳雄さんのおばあさまの紹介で三百坪の地所を求める事ができたが、家を建てる金をつくる事がむづかしく、家を追いたてられていながら、ぐづぐづに一年は過ぎてしまったが、その間に、私は、まづ、家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるやうになり、材木や瓦や、大工に就いての知識を得た。
大工は一等のひとを選びたいと思った。
まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴエションを見て貰って、一年あまり、設計図についてはねるだけねって貰った。東西南北風の吹き抜ける家と云ふのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云ふのが、私の考へであった。
それにしても、家を建てる金が始めから用意されていたのではないので、かなり、あぶない橋を渡るやうなものだったが、生涯を住む家となれば何よりも、愛らしい美しい家を造りたいと思った。まづ、参考書によって得た智識で、私はいい大工を探しあてたいと思ひ、紹介される大工の作品を何ヶ月か私は見てまはった。
林 芙美子 

 

ボランティアガイドの方の説明がとてもわかりやすく、作家や建物について理解を深めることができた。見学は外からのみ(内部は特別公開時のみ、玄関は入れる)だが、開放的なつくりなので室内細部もよく見て取れる。

子供の頃から苦労を重ねた後に流行作家となった林芙美子が、かなりの精力を注いでつくり、その後亡くなるまで10年を幸せに過ごした家であることを実感した。

 

庭から見た建物。大きなモミジがあった。

 

訪問時は11月3日だったのでまだ緑だが、そろそろ見ごろではないか。

 

こちらが寝室。

 

そこに向かい合うように、”収納の多い”茶の間があった。

 

庭から見た執筆部屋。

 

背面から執筆部屋。庭の緑が見通せた。

 

こちらは風呂場の窓。風呂に浸かりながら外を眺められる。

自分としてはここが一番気に入った。

 

女中さんの部屋は2段ベッド。

 

台所を外から。奥が寝室。

芙美子が重視した風通しのよさが感じられる。

 

 台所の食器棚。

 

 画家であった夫・緑敏のアトリエ。

 

林芙美子も絵を残している。

 

その絵は庭の石蔵内に展示されていた。

 

裏の斜面を少し上ると、屋根の瓦がきれいに見えた。

 

帰り道、中井駅のホーム。駅のすぐ南側(右側)を神田川が流れる。奥の橋は山手通りの陸橋。