4つ前のエントリのつづき。
會津八一記念博物館を見たあとにキャンパス内にある古墳跡を訪ねた。
「早稲田大学9号館あたり」というヒントを頼りに建物周辺へ。
壁面に小さなアーチが並んでリズムをつくっている。
建物前にはそれらしき案内板は見当たらず。
裏は資材置き場のようで、柵の外は墓地だった。
少し高くなっている西側、「第3西門」の方へ階段を上がってみた。
すると説明板が!
富塚古墳跡の説明だった。
新宿区登録史跡 富塚跡
所在地:新宿区西早稲田1-6
登録年月日:昭和62年3月12日
このあたりは、昭和41年(1966)に甘水園内に移転するまで水稲荷神社の敷地であった。神社の境内には、富塚という古墳(円墳)があった。
戸塚の地名の起源は、この付近に塚(古墳)が多く「十塚」・「百八塚」などと呼ばれたからとか、そのうちの一つである富塚に因んだ、とかいわれている。
水稲荷神社移転時に崩され、整地されたが、地名の由来を物語る史跡として貴重である。
平成3年11月 東京都新宿区教育委員会
墳丘前あたりからの南東方向の眺め。右の塀の向こうの斜面が墓地になっている。
そこから50mくらいで第3西門。
早稲田通りの向かいには穴八幡宮の社殿があった。
昨年夏に訪ねたがエントリを読み返すと、富塚古墳のことを他の方のブログで知って再訪したいなどと書いていた・・・
帰途、大隈重信像を背面から。
足元に説明板があった。
新宿区指定有形文化財 彫刻 大隈重信銅像
所在地:新宿区西早稲田1-6
登録年月日:昭和62年3月12日
早稲田大学の前身東京専門学校の創立者で、早稲田大学の初代総長をつとめた大隈重信(1838~1922)の銅像である。
早稲田大学創立50周年を記念して、昭和7年(1932)10月に完成したもので、鋳造・彫塑は朝倉文夫(1883~1964)の作、桜花崗岩製の台石は桐山均一の手になるものである。
像高は2.89m、台石の高さは2.12mで、角帽にガウンを着た早稲田大学総長の姿をした、晩年の大隈重信を見事に表現している。
なお、朝倉は都合3回(芝公園・大賞年、国会議事堂内中央広場・昭和13年)大隈重信像を製作しており、この早稲田大学の像は、2回目にあたるものである。
平成3年11月 東京都新宿区教育委員会
イチョウ並木は散りかけていたがきれいだった。