墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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日無坂・富士見坂界隈、山吹之里の碑 東京都豊島区高田

前回のつづき。

村川家見学の後、薬罐坂からの道を南に向かい目白通りへ。

西に向かって歩いていると日本女子大の向かい側で発掘調査が行われていた。

歩道橋の上から。

 

「文京区目白台1丁目18番14号・埋蔵文化財発掘調査」の看板。発注者は日本女子大学。敷地は大学附属幼稚園の旧園舎跡地。

 

東京都遺跡地図によるとここは遺跡番号114番の「目白台一丁目遺跡」で旧石器の剥片や縄文期の陥穴や焼石、近世の陶磁器・土器・瓦・石製品などが出土している。

台地の端でその先は神田川、斜面は南向きと、大昔から人が暮しやすい環境が整っていた場所なのだろう。

 

そこから180mほど西、鳳山(ホーザン)酒店の脇を左に入ると見事な坂がある。

左が日無坂、右が富士見坂。日無坂の西(右)からが豊島区になる。

昨年春に来て感銘を受けた。

日無坂・富士見坂 東京都文京区目白台/豊島区高田 - 墳丘からの眺め

 

富士見坂を降りた。途中で振り返って。

 

坂を下って西隣の坂を上った。

 

坂を上りきる手前を左に入ると高い擁壁の道の先に階段がある。

 

それを登って左に進むと先が開けている。

 

目の前に高い建物がなく広々とした絶景ポイントがあった。造成された一画が更地のままで残っている。

 

実は少し前にこちらの本を読ませていただいてこの場所のことを知った。

東京 記憶の散歩地図

東京 記憶の散歩地図

 

東京の坂道や路地、川跡などを、昔の記憶の痕跡を探して辿るコースが、モノクロの写真や手書きの地図とともに紹介されている。初めて知る場所も多く、自分はハマってしまいました。 おすすめの一冊です。

 

芝生(?)や花壇(?)もあってちょっとした広場になっていた。ベンチなどがほしいところ。

 

端には石段が続いていた。

 

結構な高低差。

 

下から見上げたところ。右上が”広場” 

 

さらに進むと根生院というお寺があった。

 

総本山は奈良の長谷寺。御府内八十八ヶ所の第35番の札所で、寛永12年に幕府西の丸祈願所として神田白壁町に建立しその後何度か移転して来ている。

 

本堂は近代的なガラス壁。

 

山門脇には奉供養庚申天子(左:元禄3・1690年)と青面金剛庚申塔(右:天保6・1835年)が立っていた。

 

さらに道を下ると立派な石垣。

 

 さらに南、スポーツクラブの施設の先が広大な空地になっていた。

 

グーグルアースにはオリジン電気本社工場の建物群があった。 

 

囲い板の透明窓から。

 

オリジン電気は昨年さいたま市へ本社・工場を移転。

トップメッセージ | 会社情報 | オリジン電気株式会社

跡地には、同社が”賃貸用施設”をつくるようだ。

【戦略・移転】オリジン電気がさいたまに移転、跡地を再開発へ|日経不動産マーケット情報

下記の先月の記事では、工場跡地の土壌改良・更地化の費用として15億円以上を計上し、純損益予想が黒字から赤字に変わってしまったそうだ。

オリジン電気の17年3月期は純損益7億円の赤字見通し 赤字決算 - 不景気.com

 

上記の敷地は神田川の北側に広がっている。橋は面影橋。

 

橋のそば工事現場の入口脇に「山吹之里」の碑が立っていた。

 

説明板も。

「山吹の里」の碑 
所在地:高田1-18-1
新宿区山吹町から西方の甘泉園、面影橋の一帯は、通称「山吹の里」といわれています。これは、太田道灌が鷹狩りに出かけて雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、山吹を一枝差し出された故事にちなんでいます。後日、「七重八重 花は咲けども 山吹の みの(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」(後拾遺集)の古歌に掛けたものだと教えられた道灌が、無学を恥じ、それ以来和歌の勉強に励んだという伝承で「和漢三才図会」(正徳2・1712年)などの文献から、江戸時代中期の18世紀前半には成立していたようです。
「山吹の里」の場所については、この地以外にも荒川区町屋、横浜市神奈川区六浦、埼玉県越生町などとする説があって定かではありません。ただ、神田川対岸の新宿区一帯は、昭和63(1988)年の発掘調査で確認された中世遺跡(下戸塚遺跡)や、鎌倉街道の伝承地などが集中しており、中世の交通の要衝地であったことは注目されます。
この碑は、神田川の改修工事が行われる以前は、面影橋のたもとにありましたが、碑面をよくみると、「山吹之里」の文字の周辺に細かく文字が刻まれているのを確認でき、此の碑が貞享3(1686)に建立された供養塔を転用したものであることがわかります。
平成16(2004)年3月 豊島区教育委員会

 

330年にわたって、土地の変遷を見てきた碑だった。

 つづく。