少し前に訪ねた元麻布エリア。
そのすぐ近くに「がま池」があることに後で気づき、再訪した。
麻布十番駅で降りて麻布台地の上を目指す。”十番通り”を歩いて七面坂で左折した。
標柱の解説。
しちめんざか
坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木造が安置されていたためできた名称である。
移転先の五反田・本善寺に確かに七面明神座像が祀られているようだ。
坂の途中に、小石を貼った壁が魅力的な店があった。
その店の前あたりが坂の上の突き当たりになる。短い坂。
七面坂が突き当たるのは大黒坂。右手が上り。
標柱があった。
だいこくざか
大国坂とも書く。坂の中腹北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名である。
左に下りると、道の真ん中にパティオ(中ノ島)がある場所に出る。
坂を上がっていくと、壁を赤茶に塗ったお寺があった。
大黒天を祀る大法寺だった。
子供用バスケットゴールがある明るい境内。
ご本尊の「三神具足大黒天」は直接は拝めなかったが、下記のサイトに写真があった。
本堂裏の墓地。その先の緑はオーストリア大使館の敷地。
大黒坂の坂上では道は3つに分かれた。
その位置から大黒坂を振り返ると東京タワーが顔をのぞかせた。
坂上で右に下りる暗闇坂。
くらやみざか
樹木が暗いほどおい茂った坂であったという。以前の宮村(町)を通るため宮村坂ともいった。
マンション工事で暗闇は坂の入口だけになりつつあった。
左手は、工事前には高い壁が続いていた。
暗闇坂を下ると「鳥居坂下」 の信号になり、そのまま北へ鳥居坂を上っていく。
暗闇坂の左は少し登る道。
傾斜はすぐになくなって、そのまま行くと狸坂の下りになる。
標柱の解説。
たぬきざか
人をばかすたぬきが出没したといわれる。旭坂ともいうのは東へのぼるためか。
中腹から坂上方向。結構傾斜がきつい。
大黒坂上から一番左の道は一本松坂となってゆるやかに上っていく。
いっぽんまつざか
源経基(みなもとのつねもと)などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が坂の南側にあるための名である。
松の根元には石碑もあった。松の前のカエデも勢いがあった。
一本松坂の中腹から振り返って。道路の右にあるのが何代目かの一本松。
あとで調べていたらこちら麻布・一本松のサイトで、松がある場所はなんと元は古墳だそうであるとあった。
確かに麻布の台地の端で、いかにも古墳が立地しそうな場所だった。
サイトには一本松がある場所に関する言い伝えも紹介されていた。
・源経基が平将門討伐のため将門の屋敷を内偵した帰りに民家に泊まり、翌朝に装束をあらためて出立したが、そのとき脱いだ衣服をかけたのがこの一本松。
・関が原の合戦で送られてきた首級を家康が検分し埋めた所で、江戸初期には「首吊塚」とも呼ばれた。
ところで、4つの坂はいずれも”くにゃまっぷ”に記載されていました(中央やや右)
丁寧な仕事、素晴らしいです。
立体地図 クニャマップ 山手線南エリア(渋谷区・港区・目黒区周辺)版 - 墳丘からの眺め
「がま池」は次回で。