前回のつづき。
この日最後に上花輪(かみはなわ)歴史館を訪ねた。
流山街道の下町交差点を西に折れ、さらに南に旧道のような道を進むと右側に関所のような門があった。
この冠木門(かぶきもん)は昭和17年(1942)に改築されたもの。
パノラマで。左の奥に駐車場がある。
外壁の左端に教育委員会による説明板があった。
国指定名勝 高梨氏庭園(上花輪歴史館)
野田市上花輪507 平成13年8月13日
高梨本家は代々高梨左衛門を名のり、寛文元年(1661)に醤油の醸造を始めた旧家で、江戸時代と通じ上花輪の名主を務めてきた。屋敷内は、明和3年(1766)に建てられた門長屋をはじめ、文化3年(1806)の書院などが現存し、居住部分の中央に主屋を配し、前方には門、馬廻し等、後方には神楽殿、土蔵・茶室等の建造物が庭園と屋敷林に囲まれている。背後には構掘(かまえぼり)が巡り、湧き水があって、船着場を設けている。また、枯山水と築山の築造による書院の庭は、県下でめずらしい貴重な庭園であるとともに、これらの掘や屋敷林、主屋を中心に渡廊下で連絡された多くの建物で構成され、保存状態が良好である。庭園は、西に屋敷林、北にある三本のタブの大木は山に見立てられ、江戸時代の風水思想に従って配置されている。
平成9年3月31日 千葉県教育委員会 野田市教育委員会
冠木門の先に門長屋がある。明和3年(1766)の築造。
長屋門に受付がある。入館料は大人500円。月・火と12月中旬~2月・8月は休館。
高梨兵左衛門家はキッコーマンの創業八家のひとつ。
江戸時代、上花輪村の名主を務めていたが寛文期に醤油醸造を始め、幕末~明治期には日本最大の醤油醸造家となっていた。大正6年に野田の茂木六家と流山の堀切家と合同して野田醤油株式会社(現キッコーマン)を設立している。
歴史館は平成6年(1994)に開館、高梨家が代々保存してきた居宅や庭園、土蔵、屋敷林、社祠等の建造物と、その中に集収・保管していた生活用具、醸造用具、地方文書等を保存公開している。
この日、慶應義塾大学 井奥成彦教授による「高梨兵左衛門家の醤油醸造業」という講演会が行われていた。
訪れたときに始まったばかりで、歴史館の方に展示棟の満席の会場へ促されて一時間ほど聴講した。
高梨家が所蔵していた醤油関係の文書約3万点を井奥教授のチームが2009年から調査して2016年6月に研究書にまとめた成果の一般向け発表で、商品、流通、製造に関わる高梨家の経営戦略の変遷がわかる内容だった。
特に興味深かったのは、明治中頃から出荷量が大きく伸びていく様子で、出荷先は栃木・群馬の北関東の養蚕製糸業エリアで、流通手段が舟運から鉄道輸送に変わっていくことや、利根川下流沿いは銚子のヤマサ醤油のテリトリーで販売エリアの棲み分けがあったことなど、とても面白かった。
高梨家は「近世においては名主として、大醸造家として地域に貢献し、近代においては一業専心型の醤油醸造家として、有価証券投資などよりも地域に貢献」という締めのことばが印象に残った。
出版物はこちら。
日本最大の醤油産地野田を対象とした初めてのまとまった研究になるそう。
講演後に展示を見たが高梨家が用いた何十ものブランドや「御用」の旗、梃子の原理の巨大なしぼり機、絵図など、面白い資料があった(撮影は不可)
その後は、主屋などの建物外観や庭を見学した。
右奥に見えるタブの大木を山に見立て、西(左)に広がる屋敷林と共に「西に森、北に山」という江戸時代の屋敷建築の基本に沿っている。
主屋内も見学できるコースがあるが、事前予約が必要。
木・金・土の10:15~、11:30~で各10名。大人1500円(呈茶付き)
近いうちにこのコースで再訪したい。
玄関引き戸には、とても珍しい板目が使われていた。
日本家屋だがステンドグラスが嵌め込まれていた。
この玄関脇の垣根も、非常に手が込んでいる。
こちらの庭園内にあった垣根の素材は「クロモジ」とのこと。玄関脇も同じか。
庭は8の字を描くようにルートが設けられていた。まずは表玄関の左側から屋敷林のほうへ向かう。
こちらは江戸期に建てられた稲荷神社。
そのとなりには神楽殿(明治10年代築)
敷地の北辺。先は下って川が流れる。斜面を下がると江戸川へ向かう船着場があったそうだ。
書院(文化3年:1806築)を北西側から。
敷石がリズミカルに続く。
竹林もあった。
円墳っぽい盛り上がりがあった。
こちらは主屋で唯一見学できる、台所。
さまざまな樽や桶。醸造業の発展は樽作りや袋刺し(もろみを包んで絞る布)などの周辺産業も生み出している。
客間の近くへ持ち運ぶ風呂もあった。
パン焼きオーブンやアイスクリーム製造機など、モダンな什器もあった。
「十二畳」という主人の居室の前庭への道。こちらは立入禁止。
その「十二畳」を別の角度から。
職人や庭番の部屋「下部屋」のセット。簡素だが、非常に目の細かい畳が敷かれている。
下部屋の前の「井戸屋形」
江戸中期以来の井戸だが、この井戸で汲んだ水を試飲できる。まろやかな味がした。
この豊かな水が醤油醸造業発展の源だった。
こちらは江戸期に建てられた「籾蔵」
一層目の漆喰屋根の上に木造と瓦の屋根が載っていて、延焼しそうな時は屋根ごと下に落とすことができる。
黒い板壁も「飾り」であって、はずすと中の漆喰壁だけになるそうだ。
かつての馬廻しの小屋には、絞り器や大八車が並び置かれていた。
見どころの多い施設だった。係の方々が丁寧に解説にも引き込まれる。
公式サイトには所要時間については下記のように書かれている。
ご興味や歩く速度によっても異なりますが、だいたい30分~60分見て頂ければと思います。勿論、あっと言う間にお帰りのお客様もあれば、2時間,3時間とジックリご覧のお客様もいらっしゃいます。
上花輪歴史館と道を隔てた反対側には大きな煉瓦建物があった。
あとで調べたら、下記のブログによって昭和7年(1932)に造られたもろみ熟成の煉瓦蔵とのことだった(見学不可)
レンガ積み職人が遺した建造物 〜 千葉県編(Ⅰ) 時間を掛けてもろみの熟成を行うキッコーマンのレンガ倉庫(千葉県野田市) | 職人の遺した仕事
以上で2016年9月の野田編終了です。