前回のつづき。
茂木本家の西側に流山街道に面してキッコーマン本社(左のガラス建物)があるが、その隣に目を惹く建物があった。
・登録有形文化財・近代化産業遺産 興風会館
堂々たるファサード。
正面の門に嵌め込まれた興風会の説明。
建物は「ロマネスクを加味した近世復興式」とあった。
竣工は昭和4年(1929) 施行は戸田組で、設計者は大森茂。
大森茂は、和敬塾本館(旧細川公爵邸)や明治大学旧校舎(駿河台)も手がけている。
旧細川侯爵邸(和敬塾本館)東京都指定有形文化財 @文京区目白台
玄関は2連のアーチ。
夜の明かりが灯ったところも見てみたい。
玄関の掃除をしている方がおられて、伺うと内部見学可とのことだった。
事務所で名前を書く。月曜日と第2木曜、祝日は休館日になる。
平成13年に耐震構造に改築し、竣工当時の外観を再現しているそうだ。
玄関にあった案内図。地上4階にもなる。地階のギャラリーは使用中だったが、講堂は見学することができた。
1階の小講堂。上階の大講堂の構造に合わせて天井に傾斜がついている。
扉のガラス面に書かれた文字が懐かしい。現役の談話室。
裏手の急階段。
玄関の階段を上がって大講堂へ。
2層構造の大講堂。
舞台から客席側。652名を収容できる。
登っていて楽しい階段。
最上階へ。
最上階入口から。
壁から天井が、一体となるような曲面を描いている。
両サイドの窓は階段上に配置される。
昭和4年の竣工当時、千葉では県庁に次ぐ大建築だったそうだ。
2階出入り口前のホワイエ。正面玄関上の三連窓。
暖炉、壁龕、照明などの意匠も凝っている。
男子洗面所だが、小部屋の壁はピンク。外壁の色に合わせたか。
外へ出て側面を。
西側奥には煉瓦の壁があった。
大講堂の斜めの天井に合わせて建物屋根は階段状になっている。
一番高い部分がファサードになる。
遠くからも目立っていた。
再度正面へ。「興風会館」の文字は右から書かれていた。
玄関前にはガス燈があった。マントルがついているので現役なのだろう(しかも6つ)
流山通りの対岸から。
興風会館を管理するのは公益財団法人興風会。以下は公式サイトから転載。
野田市の茂木・髙梨の醤油醸造家は、事業発展のため大正6年合同して野田醤油株式会社を設立されました。また、これを支援する経営者団体として組織されたのが、合名会社千秋社(現在の株式会社千秋社)です。
茂木・髙梨一族は、約300年にわたって醤油の醸造を生業としてきましたが、事業の拡張とともに「これまでの発展も地域社会の援助のおかげであり、会社はこれに報いるような努力をすべきである。」という考えが経営者陣に広まり、「野田の土地柄を大切にしながら、今後の街の発展のために新風を興そう。」と、昭和3年11月、ご大典記念に千秋社からの寄付によって財団法人興風会を設立しました。翌4年には会館が竣工し、以来、興風会は社会教化事業の推進を主たる目的として活動しています。
興風会の名称は、「民風作興」という言葉から生まれました。野田の街に、人々に、新しい風を興していこうという意図に基づいています。
そして、その意図の根底には、地域への熱い想いが流れています。
地域を発展させようとする”想い”が、ランドマークとなっているように感じられた。
つづく。