前回のつづき。
朝霞二小の敷地内にある一夜塚古墳跡を見た後、そこから150mほど東にある古墳広場を訪ねた。
地名の通り「岡」となっているエリアの北端に古墳は立地する。この切り通しの左側が古墳。
坂を下りると黒目川で、すぐ東で新河岸川と合流する。
階段を数段上がると案内図があった。坂を下りると駐車場もある。
”現在地”は、右側のくびれ部あたり。北東から南西を軸とした前方後円墳だが、左下の南西方向へ続いていた前方部が大きく削られている。
後円部の墳丘はしっかり残る。
墳丘には石段もついていた。
しかし扉は閉まっていた。文化財保護のため墳丘には立ち入れない。
時計回りに歩いていくと柊塚古墳歴史広場入口があった。
芝生が植えられた気持ちの良い広場。
柊塚古墳 - Wikipediaによれば10億円近い整備費用がかかっている。
正面が後円部で右に前方部が続く。右端にくびれ部が写っている。
芝生は周濠跡に植えられている。
後円部の先に回りこんでいくと墳頂も見えた。
立体模型が付属した説明板があった。
説明文の部分。
埼玉県指定史跡 柊塚古墳
朝霞市岡3-29-1ほか 平成14年3月14日指定
柊塚古墳は、黒目川を臨む、武蔵野台地の東端に位置し、今から約1500年前に造られた有力者の墓です。
古墳の形は前方後円墳で、前方部の墳丘は、後世の耕作などにより削られていますが、後円部の墳丘は、よく保存されています。
大きさは、全長72m、後円部の径48m、高さ8m、前方部の長さ18mで、墳丘の周囲には、周濠を備えています。
これまでに数度にわたる調査が行われ、後円部で木炭槨と粘土槨の2基の埋葬施設が確認されています。木炭槨の上からは、家形埴輪と土師器(壺形土器)が出土しています。
また、周濠から馬形埴輪・人物埴輪・円筒埴輪などが多数見つかっています。
かつては、周辺に一夜塚古墳をはじめ。多くの古墳が造られ、柊塚古墳を中心に根岸古墳群を形成していました。
こうしたことから、柊塚古墳は、埼玉県の南部を代表する貴重な文化財です。
平成16年3月 朝霞市教育委員会
朝霞市の公式サイトにも詳しい情報が載っている。築造時期は6世紀前葉とあった。
発掘調査で出土した家形埴輪などが朝霞市博物館で常設展示されているとのこと。これは行ってみないと。
模型部分。周濠が前方部の途中で途切れ、周濠に下りるスロープが2ヶ所ある。
公園内のトイレが家形埴輪を模していた。
公園の北側は崖になっていた。
なかなかの高低差。
階段手前からの眺め。墳丘上からだと+8m程になる。
パノラマで。
スマートなデザインの朝霞水門。荒川から新河岸川への逆流を防ぐためのもの。
水門 | 荒川上流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局
奥の吊り橋は外環道。東京から関越道へ向かうときによく通る。
さいたま新都市の方向。団地の上に見えているのは、鴨川から荒川への合流地点の”さくらそう水門”。
浦和方面。なかなか多くの高層マンションが見えた。
台地下へ降りる階段から見た斜面。
下から見上げる古墳広場。
表示板の裏側には簡潔な説明文があった。
柊塚古墳は、荒川下流域に現存する数少ない前方後円墳である。6世紀前葉の築造で、全長72m、後円部の高さ8.5m、周濠の幅6~15mを測る。後円部に埋葬施設が2基あり、後円部の墳頂から家形埴輪、周濠から馬形埴輪・人物埴輪・円筒埴輪などが検出されている。
下の駐車場脇には馬形埴輪のオブジェ。
歩道上には円筒埴輪を模したものも。車除けか。
切り通しを下から。
そのまま下ると黒目川に出た。上流方向。
下流方向。
橋のあたりから振り返った台地。樹林の切れ目の右が柊塚古墳。
切り通りに戻ると坂の途中に「柊坂」の説明板があった。
旧根岸河岸場に通ずる坂道で、その途中に柊塚古墳があることからその名がついた。
上って振り返り、左を見ると柊塚古墳入口。
右側にも石段があったので行ってみた。
上がったところには7体の地蔵さま。
奥にはお堂があった。
寺社の名前を表すようなものは見つけられなかった。
ちょっとした土盛りも、もしやと思ってしまうことが多い(が、これは違います)
つづく。