墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

旧武田家住宅 富山県高岡市太田

前回のつづき。

旧武田家は桜谷古墳から車ですぐ、徒歩で4分の場所にあった。

手前の駐車場に車を停めて矢印の方向へ。

 

小さな石橋の遺構を越えて門へ。

 

門前に新しい解説板があった。

重要文化財 武田家住宅 昭和46年3月11日指定
武田家は、武田信玄の弟 逍遥軒信綱(しょうようけんのぶつな:1525?~1582)の末裔と伝えられる旧家で、大田村の肝煎を勤めた豪農である。
住宅の敷地は、南面山側を含めると3千坪以上ある広大なもので、家各の高さを示している。
当住宅は、安永年間(1772~1780)から寛政年間(1789~1800)に重要文化財勝興寺の本堂が建設された時の余材で建てられたとの伝承を持ち、現住宅の構造、手法からもその頃のものであることが確認された。住宅の規模は間口、奥行きともに21m、建築面積443㎡に及ぶ大規模なもので、「ひろま」や「ちゃのま」の天井に見られる「枠の内」と称される豪壮な梁組や、小壁の三段化粧貫、竹簀天井等に当時の農家建築様式の典型をみることができる。建築年代が古いにも関わらず、当初の形式を良く残しており、この地方特有の屋根形式を持つ貴重な民家である点を評価され、重要文化財に指定された。
山側の庭園は竹林を借景としたもので、300坪の広さを有し、傾斜地を巧みに利用した回遊式庭園となっている。
また、当住宅の由緒を物語る多くの古文書や地図が数多く残されており、明治2年に描かれた屋敷と建物の平面図は附(つけたり)指定を受けている。さらに、山岡鉄舟や横山大観、犬養毅等多くの著名人が当住宅に滞在し、書や絵画などの作品を残している。なお、当住宅内には、山岡鉄舟及び犬養毅の書や横山大観の絵画の複製(実物は高岡市美術館にて保管)等を展示している。
平成27年3月30日 高岡市教育委員会

 

門の先に大きな茅葺の家があった。

 

なかなか全景が収まらない。

 

心安らぐ茅葺屋根だった。

 

入場料一般210円。火曜日と年末年始が休館。

見学者は自分一人だったが、係りの方について各部屋で解説を受けた。 

はいってすぐは広い土間。

 

巨大な梁と竹簀天井。すのこの上に新しい茅を置いて乾燥させている。

 

背丈以上になる茅の束。 

 

床の間にかかる絵は「武田二十四将図」

当主の祖先と伝えられる武田信廉(のぶかど)は出家後の号が逍遥軒信綱。信廉は信玄の弟で影武者をつとめるほど似ていたという。

代々当主が勤めた肝煎(きもいり)は江戸時代の村役人である地方三役の一つ、郡代・代官のもとで村政を担当した村の首長。

よって寄り合いを行う部屋や客人をもてなす部屋など、家には役所のような機能がある。

 

座敷の横に湯殿があった。遠来の客は喜んだことだろう。

 

庭は斜面が迫る。そこに植えられたキャラボク。

 

太い材を用いた鴨居。その先には大広間。

 

炉には重さ50kgあるという巨大な自在鉤。

 

こちらは台所。武田家の家紋の四つ割菱が入った器物が至るところにあった。

 

仏間の前の布にも武田菱。

 

その後ろには大きな仏壇。扉を開けることはないそうだ。

 

外から見た式台。

 

見学後、外へ出たら稲の緑が目にしみた。

 

旧武田家がその余材をいただいたという勝興寺本堂は同じく重要文化財で、寛政7年(1795)に西本願寺本堂を模した40m四方の巨大建築であり、境内地は土塁と空濠を巡らした中世城郭遺構で越中国府跡とも伝わるという興味深い場所であることを後から知った。

高岡市/重要文化財勝興寺

このときは時間の都合で行けなかったので次の機会としたい。