3ヶ月ほど前の4月中旬に沖縄に行った時の続き。
シュガーローフの戦跡の説明板の脇に「那覇まちま~い」とQRコードが印刷されたシールが貼られていたのでアクセスすると、観光客だけでなく地元の方も対象とした「ガイドと巡る街歩きツアーコース」紹介が20以上も現れた。価格も1000円からと手ごろで前日まで予約が可能。コースを見る | 那覇まちま〜い
帰りの便を夕方にして、朝と午後一のツアーに参加した。
はじめのツアーは「パワースポット奥武山と山下町めぐり」
集合場所の、ゆいレールの奥武山(おうのやま)公園駅へ行くと10人ほどの方々が集まっていた。
那覇の町の南西を流れる国場川に沿ったエリア。ゆいレールが公園の南辺と東辺と沿っているので空港から乗ると左の車窓からよく眺められる。
駅前公園にあった説明板。奥武山(おうのやま)はかつては河口の小島だった。
戦後に埋立てが進んで左岸とつながり、現在は野球場、テニスコート、弓道場、プール、武道館などのある総合運動公園となっている。
琉球王国時代に中国や東南アジアの宝物が保管されていた御物城(オモノグスク)も地続きにあるが現在は米軍基地内。ブラタモリで”潜入”していたところ。
#33 那覇 那覇は2つある!? | タモリのブラブラ足跡マップ | ブラタモリ - NHK
「まちま~い」のツアーにはさすがに米軍基地は含まれないが、公園内の社殿や道を隔てた山下町をブラブラと楽しく歩いた。
以下がパンフにあったコースの案内文。
奥武山は琉球八社「沖宮」などの神聖なパワースポットエリアとして有名です。山下町は、国内最古級の人骨が出土した場所であり、戦後「ペリー区」と呼ばれた興味深い礫祖を辿ったものです。
駅前の歩道橋から見た、丸焼きを扱う店。
一行はまず奥武山公園(おうのやまこうえん)を歩く。
こちらはガジュマルの木。
デイゴもあって赤い花も少し咲いていたが撮りそびれていた。
弓道場やグランドの脇の道を行くと沖宮(おきのぐう)があった。
小高い場所に社殿がある。かつてはここからが陸地だったのだろう。
以下はパンフの説明から。
沖宮(おきのぐう)
琉球八社(安里八幡宮・あさとはちまんぐう、識名宮・しきなぐう、波上宮・なみのうえぐう、末吉宮・すえよしぐう・普天満宮・ふてんまぐう、天久宮・あめくぐう、沖宮・おきのぐう、金武宮・きんぐう)の一つです。元々は現・那覇埠頭の近く(西町)にありましたが、明治期に那覇港の整備のために安里に移され、さらに今の場所に移りました。
手水鉢は南国風で植物が繁茂していた。
草の間から水を掬う。
まずは拝殿で参拝。
公式サイトによれば、創建は尚金福王の時代である1451年という記録があり「国王始め一般の尊崇をあつめ、特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信された」とのこと。
建物左側にさらに道があった。
進んでいくとさらに石段が。
石段の上は天頭山(てんとうざん)で奥武山の最高点。
池城山(いけぐすくやま)とも呼ばれるこの辺りの聖地のひとつとのことで、梵字の書かれた石碑なども祀られていた。
西隣にはプール。その奥にも小高い丘があり、西麓に沖縄県護国神社がある。
南東方向は国場川の上流方向。気持ちのよい眺め。
南側。手前は沖宮本殿。右奥は小禄の森口公園の辺り。
この奥武山の景色は、葛飾北斎が琉球八景のひとつ「龍洞松涛」として描いている。といっても実際に北斎がこちらに来たわけではなく「球陽八景」を参考にして想像したもので、雪も積もっている。
画像提供:東京国立博物館 http://www.tnm.jp/
C0033066 琉球八景_龍洞松濤 - 東京国立博物館 画像検索
検索していたら、こちらのブログに「球陽八景」との比較があった。
浦添市美術館、葛飾北斎の「琉球八景」 №1 - 昔に出会う旅
こちらのブログでは、現在の姿を表現した作品との比較がある。
琉球八景④~徐葆光の「龍洞松濤」をめぐって - ホタルブログ
石段を降りていくと拝殿の煉瓦色の瓦屋根がよく観察できた。
こちらは境内末社の弁財天宮。
4月中旬という時期の戸外で、きれいなランが咲いていた。
つづく。