墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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じゅんさい池緑地 千葉県市川市中国分

先週の日曜日、近くの学校へ行ったついでに立ち寄った「じゅんさい池緑地」

朝の風景。

 

千葉県市川市の北部、国府台(こうのだい)と中国分(なかこくぶん)との境が谷状になっていて沼が残っている。

 

以下は市川市|じゅん菜池緑地のサイトより。

国府台と国分の台地間に深く入り込んだ古くからの沼があり、これを国分沼といいましたが、この沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、じゅん菜池と呼ばれるようになりました。
昔は近隣の農家の人々が、じゅん菜を摘んで出荷したこともありましたが、昭和の初期に沼が何度も干上がり、ついにじゅん菜は絶滅してしました。
戦後、沼は田んぼに変わりましたが、地元の人々から昔のようなじゅん菜池を復元してほしいとの要望を受け、 昭和54年に現在のじゅん菜池緑地へと整備しました。

 

「じゅん」は初めて目にする漢字だった。

 

台地へ向かう斜面に家が建つ。

 

公園の入口近くに巨大な石灯籠があった。

 

公園の南端に接する国分台側へ上る道。傾斜のゆるい旧道も残っていた。

 

どちらの台地上にも縄文時代からの遺跡がある。地名の通り下総の国分寺・国分尼寺があった。周囲には古墳も幾つか残っている。

 

午後になると晴れた。子どもの部活の大会会場だった千葉商科大附属高校。一生懸命な姿に目頭が熱くなった(最近涙腺がゆるいです)

 

帰り道もじゅんさい池の前を通った。国分台から下る。対岸は国府台。

 

朝とは異なる色。

 

振り返ると坂道にイチョウが聳えていた。

 

その木の下には祠、国分沼姫宮があった。

 

公園入口の案内板に次の伝説が書かれていた。

”姫宮と夜泣き石”

戦国時代、この国府台地域で、後北条氏と里見氏との間で、国府台合戦が行われました。この戦いに敗れた里見軍の武将の娘にまつわる伝説が2つ残されています。
じゅん菜池公園の南側入口付近の道路沿いに「姫宮」と呼ばれる小さな祠があります。これは国分沼(現在のじゅん菜池)に身を投げた里見軍の武将の娘を供養するため、里人たちが立てたといわれているものです。

以下は夜泣き石について。

また里見公園内には、「夜泣き石」と呼ばれる石があります。戦死した里見軍の武将里見弘次の娘が、その石にもたれた泣き続け、そのまま亡くなってしまったという言い伝えの残る石です。その後ある武士がこの娘を供養してからは泣き声が聞こえなくなったといいます。

 

国府台の里見公園にある夜泣き石は3年前に訪ねたが、古墳の石棺らしき石の上に置かれていた。


道路の反対側にも少し大きめの祠があった。

 

中を覗くと目が合った!

 

道路の南側には谷状の地形が続いていた。

 

葵の咲き乱れる駐車場があった。