前回のつづき。
清水谷公園から紀尾井町通りを下って、華やかなオブジェのある東京ガーデンテラス正面に出た。
先月(5月)に1階と2階のレストランや店が先行オープンしていた。グランドオープンは7月27日。
店舗を抜け、エスカレータや階段を4階へ上がっていくと赤坂プリンスクラシックハウス(旧李王家東京邸)と同じ地表レベルになり、そこにはウッドデッキのテラスがあった。
ガラス柵の先の眺め。高架は首都高4号新宿線。その向こうの緑は衆議院・参議院の議長公邸の敷地。
外堀通り、南側方向。 左手前は東急プラザ赤坂。その後ろはプルデンシャルタワーで右のビルは赤坂Bizタワー。
江戸時代はこのような風景が広がっていた(実際はもう少し南側、日枝神社寄りか)
江戸名所百景「赤坂桐畑」広重画。
少し右に目を移すと2012年に竣工した赤坂Kタワー。鹿島建設の旧本社跡地に建つ複合ビルで上層部の26~30階が住居になっている。その手前は旧サントリー東京支社。以前はサントリー美術館もここにあった。
さきほど下ってきた清水谷坂を北方向。左の建物群はホテルニューオータニ。
後ろを見上げると蛇腹のようなガラスに雲が映っていた。
1フロア下って3階には斜面に通路がつけられていた。
高架は首都高で、その下で外掘に沿って右へ上がっていく坂が紀伊国坂(赤坂)
紀伊国坂を赤坂と呼んだ理由は、茜草が生える赤根山(あかねやま)にのぼる坂であったから、或いは染物屋が坂に赤い絹を干したことからという説がある。赤坂区 - Wikipedia
地名の赤坂は紀伊国坂由来説の他に、赤土の坂が数多くあったからとの説もあるそうだ。赤坂 (東京都港区) - Wikipedia
弁慶池(外掘)のボートで立つのは管理の人か。
東側には背の高い石垣があった。
石の表面には家紋の刻印が施されている。
説明板によると福岡藩黒田家の家紋。
国史跡江戸城外堀跡
赤坂御門の石垣と刻印
正面の石垣は、江戸城外郭の赤坂門跡で、寛永13年(1636)に福岡藩主黒田忠之によって築かれたものです。「江戸名所図会」によれば、江戸城の城門の中でも優れた縄張りであるとされ、弁慶濠と赤坂溜池の谷に挟まれた急峻な斜面地に設けられた城門でした。
門の構造は、高麗門と右折の位置にある渡櫓門からなる枡形門で、前面には土橋が設けられていました。その規模は、内法寸法20間2尺3寸、渡櫓台石垣高さ6間半(約12.8m)でしたが、明治30年(1897)に道路拡幅によって石垣の大部分が撤去されました。
現存する弁慶濠に面する石垣は、約15mの高石垣が残っており、その中には黒田家家紋の「裏銭紋」の刻印が数多く見られます。
江戸名所図誌からの絵のアップ。
江戸名所百景には「赤坂桐畑雨中夕けい」の背景に、赤坂御門への坂道とそこを行く人々が描かれている。上の絵の右側から、現在のベルビー赤坂のあたりからの眺めではないか。
出典:国立国会図書館ウェブサイト | 錦絵でたのしむ江戸の名所
こちらのサイトには貴重な写真が何枚も紹介されていた。
こちらの絵図は(株)ジェオ発行の江戸期の鳥瞰図(協力/学研・監修/正井恭夫・絵/黒澤達矢)から。中央やや下に赤坂御門や日枝社、溜池の名が記入されている。
後ろを振り返ると出来たばかりの東京ガーデンテラス。