前回のつづき。
松戸市立博物館は1993年、松戸市制50周年記念事業として「21世紀の森と広場」や「森のホール21」と同時につくられた。
20年以上経つものの、市町村の郷土博物館としては比較的新しく、子どもが見ても充分楽しめる展示になっているように思える。
旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけての充実した資料があるほか、中世の山城、江戸期の河岸の様子などはジオラマがあって理解しやすい。
とても美しい形をした旧石器時代の「木葉形尖頭器」
長さ5.5mの縄文後期の丸木舟。小金高校付近から出土している。
縄文期の石器類。左の列はその素材である様々な種類の石を直接触ることができる。
河原塚1号墳の主体部の復元模型があった。
河原塚1号墳は東松戸駅の北700mほどの地点にある。すぐ東に武蔵野線が通り、冬なら車窓から、林の中にシルエットが見える。
2年前の早春に訪ねた。
その解説。
縄文期の貝塚の上に築かれ、カルシウムが多く含まれる貝塚の土を盛ったので人骨が遺存、身長172cmの50歳代の男性と3歳位の幼児が埋葬されていた。
なかなかリアルな展示だった。
河原塚1号墳の副葬品の実物。
河原塚4号墳からの出土物。
千葉県の古墳の状況がわかる展示。右のパネルで河原塚1号墳(左上)と市川市の法皇塚古墳、富津市の内裏塚古墳の大きさを較べている。
明戸古墳・法皇塚古墳 千葉県市川市国府台 - 墳丘からの眺め
内裏塚古墳(再訪) 須恵国の古墳③ 千葉県富津市 - 墳丘からの眺め
古墳にコーフン協会さんのサイトで紹介されている文化庁の資料(平成24年度調査)によれば、千葉県の古墳・横穴の数は全国4位の12750基(兵庫、鳥取、京都、千葉の順)
文化庁の資料では、現存数は5位で10479基。その差の消滅数では2271基となり全国2位になってしまう。
6世紀の千葉の古墳の特徴。
6世紀の古墳の特徴
古墳時代後期には、それまで古墳が造られなかった地域にまで中小規模の円墳が築かれ、各地域の独自性も現れてきます。たとえば、三条の凸帯をもち口径が広いという特徴をもつ「下総型埴輪」が千葉県北部を中心に分布しますし、墳丘の中心から外れた位置に埋葬施設を設ける変則的な古墳も、茨城県南部から千葉県北部に特徴的なものです。
こちらは矢切駅近くの栗山古墳出土の埴輪。こちらの墳丘は未探訪。
松戸市立博物館の”目玉展示”は、おそらくこちらの実物大の団地の一角。これが展示室内にある。
中に入ることもできる。
住人がちょっと席を外しただけのような臨場感がある。
鳴り出しそうな黒電話。
外側から見ても人が現れそう。
前回家族で来た時も、ここで写真を沢山撮った。
松戸市立博物館は一般300円
現在は「幸田(こうで)貝塚の世界」の企画展示を6/12まで開催中(こちらは無料)
ガラスケースには重要文化財の縄文土器がいくつも並んでいた。
1981年以降の発掘調査で、6000年前の縄文前期の遺物がまとまって出土し、266点が1994年に重要文化財に指定されている。
非常に丁寧につくられている深鉢型土器の先端。縄文前期、幸田貝塚出土の重文。
この土器はカナダでも展示された。
縄文前期の「片口付深鉢型土器」 幸田貝塚出土の重文。
形も模様も見事な縄文前期の「深鉢型土器」 幸田貝塚出土の重文。
洗練された文様の「台付土器」 こちらも縄文前期、幸田貝塚出土の重文。
幸田貝塚の土器は、片口を持つタイプが多いという特徴があるそうだ。
今でも充分通用するようなデザインの急須。縄文後期のもので「貝の花遺跡」出土。把手には植物の弦が付いていた可能性もあるそうだ。
幸田貝塚の解説。
幸田貝塚の位置を示すパネル。台地の先端、海を望める場所だった。
幸田貝塚は松戸市の北部、北小金の本土寺の北西500mほどの場所。
グーグルマップで検索すると「幸田貝塚前」というバス停がヒットした。