前回のつづき。
土曜日はブラブラできる時間が3時間程あったので、ブラタモリで紹介されていた登り窯を見ようと思い、ゆいレールの牧志駅で下車。
スマホを頼りに国際通りから裏道に入ってみた。
魅力的な路地だらけ。
陶片が埋め込んである道に出た。
道の中央には魔除けのようなタイルも。
坂の上にはお花屋さんの"跡”があった。
その先には魅惑的な二股路が。
右の下る道を選んで進む。
空手道場があった。
古そうな石垣に突き当たった。
その先にはオーラが漂う一角がある。
来た道を振り返って。家々は台風に強いコンクリートブロック造り。
オーラのある木立は「ビンジュルグワー」という拝所だった。
以下は説明板より。
ビンジュルグワー
ビンジュルグワーは、ビジュルとも呼ばれて、壺屋の土地や集落を守るタチクチ(村建て)の神様をまつっているところです。
毎年旧暦1月、3月、6月、8月、9月、12月の壺屋の拝みのときには、婦人会が中心となって、豊年や、交通安全、壺屋の発展などを祈ります。
壺屋での全ての行事がここにはじまり、ここに終わると言われ、壺屋の人々にとって大切な場所です。
1998年 那覇市立 壺屋焼物博物館
さらに、路地を横目にみながら歩く。
道沿いの駐車場の一画。逆効果?
道を下っていくと観光客が多く歩いている通りに出た。
あとで調べたら情報の詰まったHPもあった。
まずは右へ。
植物を見ると南国であることを実感する。
県史跡・南窯(フェーヌカマ)はこちらのお店の裏手にあり、店の中を通らせてもらうこともできる。お店は雰囲気のあるカフェで陶器の展示販売もあった。
お店を通り抜けて振り返ったところ。右端が出入り口。
傾斜地にあるのでお店の屋根瓦が良く観察できる。
お店の裏手に、連続するように登り窯があった。
屋根に覆われた窯。
手書き・陶板の解説があった。
壺屋の荒焼のぼり窯附石牆(せきしょう)
県指定有形文化財 建造物 昭和48年3月19日指定
焼き物のまち。壺屋は1682年(尚貞王14年)それまで美里間切の知花、首里の宝口、那覇の湧田にあった3ヶ所の窯場を統合したのに始まる。
この窯は拝領窯の一つと伝えられており「南の窯(フェーヌカマ)」と呼ばれ現存する荒焼窯で唯一のものである。おもに酒甕、水甕、厨子甕等の荒焼を焼いている。
長さ約20m、幅約3mで傾斜地を利用してカマボコ型に粘土で塗り固めてある。内部は屋年にあたる部分に支柱を設けてあるが間仕切りはなく、トンネル状になっている。また窯をおおう赤瓦の屋根は耐水性を考慮して琉球石灰岩の石柱で支えてある。
なお石牆とは窯の周囲を囲む琉球石灰岩の切石積みの石垣のことで窯を保護する役目をもっている。沖縄県教育委員会・那覇市教育委員会
窯はカマボコ型。
斜面に沿って20m続く。
窯のカマボコ屋根は崩れたところもある。
上側から見たところ。
大型の甕が置かれていた。右は琉球石灰岩の芸術的な石柱。
割れた陶器が山になっている場所をガジュマルの根が覆っていた。
おっ、という表情。
スタスタッと去ってしまった。
と思ったら店番?の位置に。
窯跡の前のテラスからは壺屋やちむん(焼き物)通りがよく見えた。
つづく。