墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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国史跡・櫛山古墳 奈良県天理市柳本町

前回のつづき。

天理市トレイルセンターには周辺のジオラマもあった。

左寄りのオレンジの玉が現在地。左端に近い山裾に西殿塚・東殿塚が並ぶ。

現在地の右、青い周濠に囲まれているのが行燈山古墳(あんどんやま:崇神天皇陵)で、その山側にこれから行く櫛山(くしやま)古墳がある。

中央やや右の大きいのは渋谷向山古墳(しぶたにむこうやま:景行天皇陵)で右下池の隣が箸墓古墳。

上の写真で左右(南北)4kmほど。そこに著名な王墓級だけでも4基の古墳が集中している。

 

トレイルセンターを出るとすぐ目の前に全長242m・全国16位の規模の行燈山古墳が聳える。その墳丘を右手に見ながら、周濠の堤に沿って北へ向う。

 

途中から左手に櫛山古墳の周濠も現れる。櫛山古墳の入口から振り返ったところ。

この左手に行燈山古墳がある。 

 

墳丘の南サイドから。手前が前方部、その奥に後円部、そしてさらに奥に前方部がある。

櫛山古墳は非常に珍しい「双方中円墳」だった。

 

入口の説明板。

国史跡指定古墳 櫛山古墳(くしやまこふん)

天理市柳本町に所在する櫛山古墳は、古墳時代前期後半(4世紀後半)に築造された全長155mの大型古墳で、柳本古墳群を構成する。墳形は、東西に主軸をもつ前方後円形を基調とするが、前方部とは反対側の後円部先端にも前方部に匹敵する大型の祭壇を伴うため、双方中円墳と呼ばれている。昭和23・24年に行われた発掘調査では、この大形祭壇上から排水施設を伴う白礫を敷き詰めた遺構や、白礫層の下部に赤色顔料を含む砂層を施した方形の土坑などが検出されている。遺物も鍬形石・車輪石・石釧などの腕輪形製品や、高坏形土師器の破片が白礫層の上部から出土し、古墳の墓前祭祀に関係する遺構が見つかっている。

中円部の頂上に築かれた竪穴式石室は、すでに撹乱を受けていたが、全長7.1m、幅1.4mの南北に主軸をもつ埋葬施設で、扁平な石材を用いて石室の側壁を築いている。石室床面の中央には、石棺を据えたと思われる方形の落ち込みがあり、長持形石棺の一部が出土している。

調査では、石棺を据えてから石室の側壁を築いたものと考えている。同様な石室の構造をもつ古墳として、御所市宮山古墳の南石室がある。

櫛山古墳の西側には全長260mの巨大前方後円墳、行燈山古墳(崇神天皇陵)がある。そうした巨大古墳に隣接して櫛山古墳が造営されていること、石棺を用いた石室の存在、大形祭壇に白礫を敷き詰めた墓前祭祀跡など特別な印象を秘める櫛山古墳の様子は、この被葬者が行燈山古墳と関係する有力な人物であったことを想像させてくれる。天理市教育委員会

 

入口からは前方部から後円部へと東に墳丘を上って行く。

 

くびれのあたりの北斜面。

 

後円部墳頂は広く平坦だった。

 

そして、後円部の先に別の前方部がある。

 

平面図で頭の上に冠を載せているような形。

 

こちらは登って来た側の前方部。

 

地面にある石の欠片も石室石材に見える。

 

前方部から後円部にかけての上面の削られた跡は、柳本藩が弓矢の練習場として使ったらしいとのことだった。

 

何気ない風景だが、稀有な形の古墳が隠れている。

そしてここで振り返ると行燈山古墳がある。

櫛山古墳と行燈山古墳とは60mほどしか離れておらず、境となる堤を共用しているようだった。

つづく。