前回のつづき。
奈良県の古墳を見て回る前に、現地の出土物や遺跡の情報が集まっている博物館へ向かった。
近鉄奈良から難波行に乗って西大寺で乗り換える。スマホの経路探索がとても役に立った。
京都行きの特急もいた。
連結部には面白い形の保護柵があった。
橿原神宮前駅のひとつ手前の畝傍御陵前駅で下車。土曜日の昼前だったが人はまばら。
駅前に博物館の案内図。
目の前には畝傍山。標高198mだが盆地との比高差は120mほどで登ることもできる。天香久山、耳成山とともに大和三山を成す。
何故こんな場所に山が、と思ったら火山の名残りだった。以下は畝傍山 - Wikipediaより。
畝傍とは「火がうねる」の意味である。田の畝のようにくねくねした尾根を多く持つことから名付けられたともいわれる。瀬戸内火山帯に属しており、古代人がこの山を火山と認識していた可能性も考えられる。事実、頂上近くの緩い傾斜面になっている部分は、黒雲母安山岩から形成され、ざくろ石黒雲母流紋岩の流離構造を示す貫入岩も存在する。ただし、きれいな釣鐘型の火山のような山容を持つが、第三紀に噴出した火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形である。噴火時の大きさは現在の2倍以上であったとされる。中腹以下の部分は片麻岩によって形成されている。
橿原神宮入口。時間の都合で外から参拝。
駅側に戻って博物館へ。
想像していたより規模の大きい博物館だった。
はいってすぐのホール。
巨大な円筒埴輪(レプリカ)に圧倒される。実物は展示室にある。
どうやって作ったか、どうやって運んだかなど、謎は多い。
奈良盆地のジオラマ。北側から。中央やや下(若草山の頂上)が鶯塚古墳。
南側から。左右に伸びる尾根の北側中央が飛鳥。
下記によれば奈良盆地の面積は約300平方kmとのことなので山手線内側の5陪ほどになる。
展示室内でもまず目を惹く巨大円筒埴輪。高さ2.4mで日本最大。
桜井市のメスリ山古墳出土。これが見たかった。
前方後円墳の後円部中央、竪穴式石室の上を四角く囲んでいた。
メスリ山古墳からの多様な副葬品。
鉄や銅の武器類が武器庫のような数で副葬されていた。
珍しい鉄製の弓と矢。
円筒埴輪の前には天理市の下池山古墳出土の木棺。
地中に木製品が残っていることは極めて稀。
奈良市の佐紀陵山古墳の蓋(きぬがさ)形埴輪(複製)
御所市の宮山古墳出土の家形や盾形、靫(ゆぎ:矢の入れもの)形の端正な埴輪たち。
川西市の島の山古墳出土の車輪石や鍬形石、石釧など(装身具)
古墳時代中期の5世紀になってからは、渡来の人びとの影響をより強く受けるようになる。海を渡る舟が埴輪に現されたり、石室が横穴式に、副葬品に武具や馬具が増えていく。
新庄町寺口和田1号墳出土の舟形埴輪。
四条古墳(石見遺跡)からは埴輪だけでなく葬送儀礼に使われた木製品も出土した。
鳥形の木製品も。
写真は韓国にお出かけ中のだった動物埴輪。
纒向石塚古墳の周溝から出た柱材。木を組むための加工跡が残っていた。
柱があって鳥が居て・・・、と鳥居を想像してしまう。
(前に読んだこちらの本の中に、絵図で紹介されていたように思いますが記憶が不確かです)
石見遺跡出土の「椅子に座る男性」。凛々しい!
五条野(見瀬)丸山古墳のコーナー。
全長28.4mの、日本最大の横穴式石室がある。
斑鳩町の藤ノ木古墳。昨年、実際に石室を見た。
藤ノ木古墳特別見学 ふるさと納税制度による石室貸切体験レポート 奈良県生駒郡斑鳩町 - 墳丘からの眺め
副葬品の実物はこちらにあった。国宝の印がつく。
こちらの冠も国宝。
こちらの金銅製筒型品も国宝。
上記の復元品。荘厳だった。
復元された大刀も見事。
甲冑類の展示も豊富。
馬具はつけ方もよくわかるように展示されていた。手前が尻尾。
実際の副葬品。葛城市の芝塚2号墳出土品など。
地域によって飾り方が異なることを知った。
石棺と陶棺とを並べた展示。
旧石器・縄文・弥生期や、飛鳥・奈良時代の展示もあったが、ほとんど通り過ぎただけになった。
企画展の「奈良県生駒市 長福寺の古瓦」展は時代ごとの鬼瓦や板壁に描かれた仏画などたいへん興味深かった。
http://www.kashikoken.jp/museum/top-koushin/tenrankai/pdf/
重文の本堂の保存修理が今年の秋まで行われている。
ミュージアムショップはたいへん充実していた。
マグネット(右)と箸置きを購入。
屋外にも展示があった。
目立たないが石棺も。
再び畝傍御陵駅へ。観光案内図はさすがに遺跡だらけだった。
次は、修学旅行以来となる飛鳥の石舞台古墳を目指した。
つづく。