前回のつづき。
若草山を下山したあと、せっかくここまで来たので春日大社を参拝した。
春日山遊歩道を下りてくると茅葺きの水谷茶屋の前に出る。
ぜんざいが非常においしそうだった。
ここで水谷川を渡って春日大社の神域へ。
渡った先にあるのは水谷神社。
その瑞垣の中にあるイブキ(ビャクシン)の巨樹。空洞の幹の中から杉が生えている。
そこから南へ石畳の階段を進む。
少し行くと一言主神社があった。
平安時代初期に興福寺境内に創建されたが、明治以降にこちらに遷座。
“一つだけ願いを叶えてくださる”という御神徳があり数多くの絵馬が奉納されている。
そこからすぐに御本殿の回廊。
阿倍仲麻呂公 望郷の思いの碑。仲麻呂も鶯塚古墳に上ったであろう。
廻廊(5棟)は重要文化財。治承3年(1179)の創建。
撮影スポット。
きっちり同じ高さでなく、音符のように高低差があるところがよい。
こちらからは自由に参拝できる。一の鳥居からの長い参道とは直角に、北の方向を向く。
せっかくなので有料(500円)の特別参拝エリアへ。
こちらは重要文化財の中門(楼門)と左右に御廊(おろう)
この奥に四連の御本殿(国宝)がある。
創建は奈良時代。下記は公式サイトより。
鎌倉初期に書かれた現存最古の由緒記『古社記』には、四所神殿の創建を奈良時代、 称徳天皇の神護景雲2年(768年)11月9日とされています。藤原永手が左大臣として 活躍した時代でした。
春日の神々の御鎮座は奈良朝のはじめ、平城京鎮護のため、まず武甕槌命様を鹿島神宮(茨城県)から 奈良・春日御蓋山頂に奉遷して祭られていましたが、それから数十年後の神護景雲2年に藤原氏の血を引く 女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に初めて南面する神殿を創建して、 さらに香取神宮(千葉県)の経津主命様、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖・天児屋根命様と比売神様の 四柱を併祀したのがその始まりとされています。
関東の鹿島神宮、香取神宮から神様をお呼びしたことがとても興味深い。
鎌倉期の絵巻「春日権現験記」にも描かれている「本社大杉」
岩本神社は屋根より木が優先。
この隣の内侍殿(ないしでん:重文)は、現在20年に一度の式年造替(その場で建て替えるので遷宮ではない。今回で60回目)で御本社と若宮の神様が一時的に遷座した「御仮殿」となっている。3月31日まで御仮殿での特別参拝ができる。
御造替の諸儀式と日程 : 春日大社第六十次式年造替奉祝行事実行委員会
内側から見る廻廊屋根の美しいカーブ。
その先に御蓋山浮雲峰遙拝所があった。東側の<御蓋山(みかさやま)を向く。
御蓋山(春日山)標高297mは、若草山(三笠山)の南500mの位置にある禁足地。
説明板があった。
遥拝所の背面。御本殿の廻廊はこの東北の隅だけ築地塀で残っている。
重要文化財の南門。廻廊と同じく治承3年(1179)の創建。
門の前の神石。磐座、出現石、額塚など諸説あるそう。
鹿島神宮や香取神宮の要石(かなめいし)を思い起こした。
香取神宮 下海上国(しもつうなかみのくに)香取市の古墳① - 墳丘からの眺め
御本殿の南側では若宮十五社めぐりができる。以下公式サイトより。
当社のご神域には、ご本社にお鎮まりになる4柱の神様のほか、霊験あらたかな神様が摂社・末社として合わせて61社お祀りされています。その中でも、とりわけ境内南側には若宮様がご鎮座され、その周辺は昔、参詣に訪れた人々が様々な思いを胸に、神めぐりをした場所として伝えられております。
この辺りは、人が生涯を送る間に遭遇する様々な難所をお守りくださる神々が、若宮様を中心にお鎮まりになられております。
世界遺産 春日大社 公式ホームページ/境内のご案内/若宮15社めぐり
立ち並ぶ燈籠の先になるが、別の機会とした。
ここからの参道が結構長かった。一の鳥居までは1.3kmになる。
参道沿いの何気ない建物?も重文、車舎(くるまやどり:高貴な方の牛車の車庫)で貞観3年(859)創建。
式年造替(しきねんぞうたい)の幕が掛けられていた。
参道には対で建つ燈籠が多かった。
開けた場所に目を引く建物があった。
明治35年竣工の旧奈良県物産陳列所。設計は関野貞。
公開はしていなかった。
一本北のバス通りへ。街並みが美しい。
先を急ぐのでタクシーで近鉄奈良駅へ向かった。
つづく。