墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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特別史跡・特別名勝 小石川後楽園 東京都文京区小石川

2月のある日、外での打ち合わせ前の時間で小石川後楽園へ寄った。

庭園入口は、地下鉄後楽園駅からは敷地をぐるりと回った反対側にあり、飯田橋駅の方が近かった。

重厚な壁は江戸城の石垣で使われていたものだった。

説明板によれば、江戸城鍛冶橋門北側外堀跡から出土した石垣の石材を、「打ち込みハギ」と呼ばれる江戸初期の技法で再現しているとのこと。

石材には備中 成羽藩主 山崎家の「山」の刻印や、石割の「矢穴」も残っている。

 

年末年始以外は開園(9時~17時)入園料は一般300円。

 

庭園の概要については公式サイトに詳しい。小石川後楽園で検索すると「公園へ行こう!」と「庭園へ行こう。」の2つがあったが、どちらも東京都公園協会のサイトで概要の内容も一緒だった。

江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に 完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられました。

庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。また、当園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。

この地は小石川台地の先端にあり、神田上水を引入れ築庭されました。また光圀の儒学思想の影響の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。

なお、当園は昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の重複指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮恩賜庭園と当園の二つだけです。全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけです。

この公園について|小石川後楽園|公園へ行こう!

概要 | 小石川後楽園 | 庭園へ行こう。

ちなみに上記によれば、都立の「庭園」は下記の9ヶ所

浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜公園、小石川後楽園、六義園、向島百花園、清澄庭園 旧古河庭園旧岩崎邸庭園、殿ヶ谷戸庭園

都立公園は90ヶ所にもなる。

 

中にはいって正面には東京ドーム。

 

ここも花見で賑いそう。

 

工事中の箇所を臨時の橋で迂回して梅林へ。

 

平日で開園してすぐで人はまばらだった。

 

同じくらいの背丈の紅白。

 

青空には白が映える。

 

ピンクはまだ日陰にあった。

 

そこから築山へ向う。一番高い場所には「小町塚」

 

木々を透かして丸の内線の高架が見えた。

 

丘の上には関東大震災で焼失した八卦堂の跡。

 

ときどき東京ドームがぬっと現れる。

 

立入禁止の急坂(愛宕坂)

 

敷石の意匠に見とれる。

 

石橋は渡れなかった。

 

水面に映る姿から「円月橋」という。朱舜水の設計により駒橋嘉兵衛が造った。

このあたりに鳥見の方々が集まっていたが自分には見えなかった。

 

得仁堂は、二代藩主光圀が建てた園内最古の建物。

 

柔らかそうな?飛び石。

 

左は屏風岩。

 

中国の名勝地、西湖を模した「西湖の堤」

 

嵐山の渡月橋を模した橋もあった。

 

右の笹山は林羅山が名づけたという「小廬山」、左は枝垂桜。

一周するのにそれほど時間もかからなかったが、変化に富んだ味わい深い庭園だった。

こちらの枝垂桜も見てみたい。